ユリウシュ・スウォヴァツキ
ユリウシュ・スウォヴァツキ[1] Juliusz Słowacki | |
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ジェームズ・ホープウッド (子)によるユリウシュ・スウォヴァツキの肖像 | |
誕生 |
Juliusz Słowacki 1809年9月4日 ロシア帝国(現:ウクライナ)ヴォルィーニ県クレメネツ |
死没 |
1849年4月3日(39歳没) フランス共和国パリ |
墓地 |
モンマルトル墓地(1926年まで) ヴァヴェル大聖堂(1927年以降) |
職業 | 詩人、劇作家 |
言語 | ポーランド語 |
国籍 | ポーランド |
最終学歴 | ヴィリニュス大学 |
ジャンル | 詩(叙事詩、抒情詩)、劇 |
文学活動 | ロマン主義 |
代表作 |
『コルディアン(1833年) 『バラディーナ』(1834年) |
影響を受けたもの
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影響を与えたもの
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署名 |
ユリウシュ・スウォヴァツキ[1](ポーランド語:Juliusz Słowacki、1809年9月4日 - 1849年4月3日)は、ロシア帝国クレメネツ(現ウクライナ・クレメネツィ)生まれのポーランドのロマン派詩人、劇作家。
叙事詩『パン・タデウシュ』を書いたアダム・ミツキェヴィチ、戯曲『イリディオン』を書いたジグムント・クラシンスキと共に「ポーランド・ロマン主義の三大詩人」または「三羽の鳥」に数えられる[2][3]
代表作は、戯曲では『コルディアン』(1833年)や『バラディーナ』、『リラ・ヴェネーダ(Lilla Weneda )』(1839年)、叙事詩では『ベニョフスキ』(1841年)、絶筆となった抒情詩『精霊王』(『霊魂の王』とも。1845年)などがある。
生涯
[編集]旧ポーランド南東部のクシェミェニェツ(ポーランド語:pl:Krzemieniec、現在はウクライナのクレメネツuk:Кременець)に生まれる。父親エウゼビウシュはクシェミェニェツ高等学校、ヴィリニュス大学の文学教授であり、母親サロメアはヤヌシェフスキ家出身の教養ある人物であった。エウゼビウシュの死後、サロメアは医者のアウグスト・ベキュと再婚した。ヴィリニュスにて、彼女は文学サロンを開き、スウォヴァツキはそこで詩人アダム・ミツキェーヴィチと知り合った。
1825-1828年、ヴィリニュス大学で法学を学ぶ。
1829年にワルシャワへ移り、政府歳入・財務委員会で職を得た。11月蜂起が起きると、国民政府蜂起外交局で働いた。
1831年3月にヴロツワフ経由でドレスデンに入り、パリ、ロンドンを旅行する。
1832年、パリで思うような評価が得られず落胆し、スイスのレマン湖畔へ移る。
1834年、ポーランドのヴォジンスキ家と共にアルプス旅行。恋愛詩『スイスにて』(1835-1838)が生まれる。
1836年にスイスを離れ、ローマへ赴く。詩人ズィグムント・クラシンスキと親交を深める。その後ナポリへ移り、東方への旅に出る。
1837年までに、ギリシャ、エジプト、パレスチナ、シリアを旅行し、パリへ戻る。『ナポリから聖地への旅』(1836-1839)を執筆。
1842年、メシアニストアンジェイ・トヴィヤンスキが率いる「神を考える会」に入り、同じくトヴィヤンスキの信者であったミツキェーヴィチとも繰り返し顔を合わせた。翌年には会を離れる。
1848年、結核を患いながらも、蜂起に参加するため、ポーランドヴィエルコポルスカ地方へ行くが、結局蜂起には加わらなかった。ヴロツワフで母と再会。
1849年、パリで死去。遺体はモンマルトル墓地に埋葬されたが、1927年、クラクフのヴァヴェル大聖堂に移された。なお隣のお墓にはアダム・ミツキェヴィチが眠っている。
引用
[編集]— 信仰の告白、WikisourceJEDNAK JA NIE WĄTPIĘ...
Ą jednak ja nie wątpię — bo się pora zbliża,
Że się to wielkie światło na niebie zapali,
I Polski Ty, o Boże, nie odepniesz z krzyża,
Aż będziesz wiedział, że się jako trup nie zwali.
Dzięki Ci więc o Boże — że już byłeś blizko, 5
A jeszcześ twojej złotej nie odsłonił twarzy,
Aleś nas, syny twoje, dał na pośmiewisko,
Byśmy rośli jak kłosy pod deszczem potwarzy.
Takiej chwały od czasu, jak na wiatrach stoi
Glob ziemski — na żadnego nie włożyłeś ducha, 10
Że się cichości naszej cała ziemia boi,
I sądzi się, że wolna jak dziecko, a słucha.
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 吉上昭三『万有百科大事典 1 文学』(小学館、1973年)
- 吉上昭三『大日本百科事典』(小学館、1967年)
- 福岡星児『新潮 世界文学小辞典』(新潮社、1971年)
- Słowacki Juliusz, Encyklopedia PWN http://encyklopedia.pwn.pl/haslo/Slowacki-Juliusz;3976544.html%7Ctytuł%7C 閲覧日2017-05-19