ユニウス氏族
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ユニウス氏族 (羅: Gens Iunia) は、古代ローマの氏族。王政ローマ最後の王ルキウス・タルクィニウス・スペルブスを追放し、共和政ローマを樹立したルキウス・ユニウス・ブルトゥスや、ガイウス・ユリウス・カエサル暗殺に関わったマルクス・ユニウス・ブルトゥスが知られる。
プルタルコスによれば、プレプス(平民)であったマルクス・ブルトゥスはルキウス・ブルトゥスの直系ではないとする説もあるが、ポセイドニオスはこの氏族をルキウス・ブルトゥスの生き残った三男の子孫であるとしており、ルキウス・ブルトゥスの胸像の面影を残しているという指摘もあったという[1]。
パトリキ系
[編集]ブルトゥス家
[編集]- マルクス
- ルキウス・ユニウス・ブルトゥス:共和政ローマ設立メンバーの一人。紀元前509年の初代執政官。
- ティトゥス・ユニウス・ブルトゥス:ブルトゥスの子。タルクィニウス王の陰謀に巻き込まれ父に処刑される。
- ティベリウス・ユニウス・ブルトゥス:ブルトゥスの子。ティトゥスと共に処刑された。
- 三男?
- ルキウス・ユニウス・ブルトゥス:共和政ローマ設立メンバーの一人。紀元前509年の初代執政官。
プレプス系
[編集]ブルトゥス家
[編集]- ルキウス・ユニウス・ブルトゥス: 紀元前493年の護民官
- ティトゥス・ユニウス・ブルトゥス: 紀元前492年のアエディリス
- デキムス・ユニウス・ブルトゥス・スカエウァ (紀元前325年の執政官)
- デキムス・ユニウス・ブルトゥス: 紀元前194年の植民三人委員
- プブリウス・ユニウス・ブルトゥス: 紀元前190年のプラエトル
- マルクス・ユニウス・ブルトゥス (紀元前178年の執政官)
- マルクス
- マルクス
- マルクス
- マルクス・ユニウス・ブルトゥス: 紀元前88年のプラエトル。ルキウス・コルネリウス・スッラのローマ進軍を阻止すべく派遣されたが失敗。ヒスパニアに逃れた[2]
- マルクス・ユニウス・ブルトゥス (紀元前83年の護民官)
- マルクス・ユニウス・ブルトゥス(クィントゥス・セルウィリウス・カエピオ・ブルトゥス): 紀元前44年のプラエトル・ウルバヌス(首都法務官)[3]。カエサル暗殺
- ルキウス・ユニウス・ブルトゥス・ダマシップス: 紀元前82年のプラエトル・ウルバヌス。執政官ガイウス・マリウスの命令でスカエウォラ・ポンティフェクスらを処刑[4]
ブブルクス家
[編集]- ガイウス
- ガイウス
- ガイウス・ユニウス・ブブルクス・ブルトゥス (紀元前317年の執政官): その後も二度執政官を務める
- ガイウス・ユニウス・ブブルクス・ブルトゥス (紀元前291年の執政官):恐らくブブルクスの子
- ガイウス・ユニウス・ブブルクス・ブルトゥス (紀元前317年の執政官): その後も二度執政官を務める
- ガイウス
ペラ家
[編集]- デキムス
- デキムス
- デキムス・ユニウス・ペラ: 紀元前266年の執政官
- マルクス・ユニウス・ペラ: 恐らくデキムスの子。紀元前230年の執政官
- デキムス・ユニウス・ペラ: 紀元前266年の執政官
- デキムス
プッルス家
[編集]- ルキウス・ユニウス・プッルス
- ガイウス・ユニウス・プッルス
- ルキウス・ユニウス・プッルス: 紀元前249年の執政官
- ガイウス・ユニウス・プッルス
シラヌス家
[編集]- マルクス・ユニウス・シラヌス:紀元前212年のプラエトル
- マルクス・ユニウス・シラヌス: 紀元前196年のプラエフェクトゥス
- マルクス・ユニウス・シラヌス?: 紀元前135年前後の貨幣鋳造三人委員[8]
- マルクス・ユニウス・シラヌス: 紀元前77年のプラエトル[9]
- マルクス
- ガイウス
- ガイウス・ユニウス・シラヌス: 10年の執政官
- ガイウス
ペンヌス家
[編集]- マルクス
- マルクス・ユニウス・ペンヌス: 紀元前201年のプラエトル
- マルクス・ユニウス・ペンヌス: 上記ペンヌスの子か。紀元前167年の執政官
- マルクス・ユニウス・ペンヌス: 紀元前201年のプラエトル
その他
[編集]- クィントゥス・ユニウス: 紀元前439年の護民官
- ガイウス・ユニウス: 紀元前423年の護民官
- プブリウス・ユニウス: 紀元前230年のレガトゥス
- デキムス・ユニウス: 紀元前212年のレガトゥス
- ルキウス・ユニウス: 紀元前167年のレガトゥス
- ガイウス・ユニウス: 紀元前140年前後の貨幣鋳造三人委員[10]
- ティトゥス・ユニウス: 紀元前90年頃の護民官[8]
- クィントゥス・ユニウス: 紀元前70年の元老院議員[11]
- プブリウス・ユニウス: 紀元前69年、ルキウス・リキニウス・ルクッルス配下のガイウス・ウァレリウス・トリアリウスの下で働く[12]
- ルキウス・ユニウス: 紀元前42年からのセクストゥス・ポンペイウス配下のレガトゥス[13]
- クィントゥス・ユニウス・ブラエスス: 10年の補充執政官
出典
[編集]参考文献
[編集]- T. R. S. Broughton (1951). The Magistrates of the Roman Republic Vol.1. American Philological Association
- T. R. S. Broughton (1952). The Magistrates of the Roman Republic Vol.2. American Philological Association