上海ユダヤ難民紀念館
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上海ユダヤ難民紀念館 | |
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各種表記 | |
繁体字: | 上海猶太難民紀念館 |
簡体字: | 上海犹太难民纪念馆 |
拼音: | Shànghǎi Yóutài Nànmín Jìniànguǎn |
英文: | Shanghai Jewish Refugees Museum |
上海ユダヤ難民紀念館(シャンハイ ユダヤなんみんきねんかん、上海ユダヤ難民記念館)は、当時の日本人居留地区内に日本軍が設定した無国籍租界地(現在の上海市虹口区)にあり、ナチス政権時(特に1933年 - 1941年にわたり)ヨーロッパから追われたユダヤ人たち2 - 3万人の中国での生活や当時の資料などが展示されている施設である[1]。2007年に開設された[2]。
概要
[編集]地下鉄12号線提籃橋駅2番出口から徒歩150m。入館料:20元/人(2016年9月現在)。
展示
[編集]紀念館は本館(ユダヤ教旧会堂)と2棟の展示室からなり、本館は当時のユダヤ教会堂をそのまま利用し、2階一部と3階一部が資料館になっている。南側の展示室は映像を中心に、北側の展示室は当時の生活の様子や記録を見ることができる。また南館展示室には、ユダヤ人に命のビザを発給した外交官(杉原千畝や何鳳山など)の写真が展示されていた。
2015年の抗日戦争勝利70周年記念行事に合わせて改装されたが、展示は日本側の活動が負の側面を強調され、中国側の活動のみに焦点を当てた内容に変更された。杉原の写真は撤去され、何の銅像が展示室の入口に新設された[3]。
中国側は、日本軍が上海北部の日本人居留区に「無国籍難民隔離区」を置いてユダヤ難民を保護した経緯を封印し、中国がユダヤ人保護をしたこととして、「世界記憶遺産」として国連教育科学文化機関(ユネスコ)に登録する申請作業を進めている[1]。
脚注
[編集]- ^ a b 河崎真澄 (2015年8月9日). “【歴史戦】 中国、上海ユダヤ難民資料を記憶遺産申請へ 旧日本軍が保護の史実を隠蔽 「抗日戦勝70年」の一環に”. 産経ニュース. 2021年1月5日閲覧。
- ^ “【高論卓説】歪められた上海ユダヤ難民記念館 (1/2ページ)”. SankeiBiz. 産経デジタル (2017年9月14日). 2021年3月6日閲覧。
- ^ “【高論卓説】歪められた上海ユダヤ難民記念館 (2/2ページ)”. SankeiBiz. 産経デジタル (2017年9月14日). 2021年3月6日閲覧。