ユゼフ・エルスネル
ユゼフ・クサヴェルィ・エルスネル | |
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基本情報 | |
生誕 | 1769年6月1日 |
出身地 | ポーランド・リトアニア共和国 オポーレ県 |
死没 | 1854年4月18日(84歳没) |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | 作曲家 |
ユゼフ・クサヴェルィ・エルスネル(ポーランド語: Józef Ksawery Elsner, 1769年6月1日 - 1854年4月18日)はポーランドの作曲家で音楽教育家。主にフリデリク・ショパンの師として知られる。ドイツ語読みではヨーゼフ・クサーヴァー・エルスナー(Joseph Xaver Elsner)。
概要
[編集]シレジアのグロットカウ(現在のオポーレ県グロトクフ)に生まれる。父は家具職人で楽器の製造も請け負っていた。母方の祖父も楽器職人で、リュートとヴァイオリンを作っていた。家系はドイツ系だったがポーランド文化とも接触があり、後にワルシャワへ移住した頃にはほぼ完全にポーランド化していた。
ヴロツワフとウィーンで音楽を学んだ後、1791年にブルノでヴァイオリニストとなる。1792年にはルヴフの劇場の楽長となり、1799年から1824年までワルシャワ国立劇場にて首席指揮者を務める。彼はまた、Leszek BiałyやKról Łokietekなど史実に取材した愛国的なポーランド語オペラ(全38曲)を史上初めて作曲して同劇場で初演した他、交響曲やミサ曲、ポロネーズ、オラトリオ(Męka Pana Naszego Jezusa Chrystusaなど)、室内楽などを残した。教育家としては1821年にワルシャワ音楽院を設立し、音楽大学の学長となる。
1823年から1829年までショパンに音楽理論と作曲を教え、当時の日記に「ショパン、フリデリク、3年生、驚くべき才能、音楽の天才」と記した。彼はまた、ショパンにポーランド語によるオペラの作曲を勧めている。ショパンは彼の最初のソナタ作品をエルスネルに捧げている。エルスネルはまた、ポーランドの国民歌劇『ハールカ』の作曲者スタニスワフ・モニューシュコの師でもあった。
参考文献
[編集]- Martina Homma, Nationale Musik und nationale Musikwissenschaft. Der Fall Joseph Elsner, in: Deutsch-polnische Ansichten zur Literatur und Kultur, Wiesbaden 1995, S. 104-116
- J. Herrmann, Józef Elsner und die polnische Musik, München 1969
- Paul Preis, Musik- und Theaterleben von Stadt und Kreis Glatz, 1. Teil, S. 18-19
- Alina Nowak-Romanowicz, Józef Elsner. Monografia, Kraków 1957
外部リンク
[編集]脚注
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