ヤン・ペトロフスキー
ヤン・ペトロフスキー(露: Ян Петовский、Yan Petrovsky、1988年1月2日[1] - )は、ロシアのネオナチ、傭兵、戦争犯罪容疑者。親ロシア極右主義者の準軍事組織「ルシッチ・グループ」のリーダーである。コールサインは「スラビアン」[2]。2023年にフィンランドに入国時にヴォジスラフ・トーデン(Torden Voislav)と変名しており[3]、現在ではその名前でも報道されている。
2022年にEU[4]、アメリカ合衆国[5]、スイス、日本[6]、ニュージーランドの当局が制裁を科している[7]。
来歴
[編集]1988年1月2日、シベリアのイルクーツク市で生まれた。2004年に母親がノルウェー人と結婚し、ノルウェーに移住。
大学ではグラフィックデザインを学んだ。英語に堪能で、ノルウェー語も習得、トンスベルグとオスロで勉強を続けた。夏は自転車、冬はスノーボードの練習をしていたという[8]。オスロでロシアのネオナチの溜まり場となっているタトゥースタジオで働くようになり、ノルウェー東部の極右環境と接触した[9][10]。
2010年、格闘家で白人至上主義者のビアチェスラフ・ダツィク[11]がサンクトペテルブルクの精神病院から脱走し、ノルウェーに政治亡命を申請した[12][13]。オスロ地方裁判所で審理が行われるときに、ペトロフスキーは支持者として現れている[14]。この事件に関連して、ノルウェー警察はノルウェー系ロシア人のナチス環境を明らかにした。タトゥースタジオに武器・弾薬・ナチスの影響のある証拠物を発見し、ペトロフスキーは逮捕された。しかし、その後、ペトロフスキーは釈放されている[15]。
タトゥースタジオがネオナチの溜まり場として知られたことで生活が困難になったことから頻繁にロシアに行くようになり、2011年にアレクセイ・ミカコフと出会った。2014年3月、ノルウェーの反移民サイト「Frieord.no」のインタビューに応じ、志願兵としてルガンスクでの戦闘行為に参加したことを語った。そこで一緒に訓練・軍事行動をしていたミカコフとともにルシッチ・グループを設立している[16]。その後、ミカコフらと共にドンバス戦争およびシリア内戦で戦う。
2014年9月28日にミロトヴォレツに入力されている[17]。
2016年2月、フィンランドの反移民団体「オーディンの兵士(Soldiers of Odin)」とトンスベルグの街をパトロールしていたことが報じられた[10][18]。同年10月、ノルウェーは「国家の安全に対する脅威」であるとして、ペトロフスキーの居住許可を取り消し[19]、国外追放。すぐにロシアに強制送還となった[8]。2018年9月にノルウェーの裁判所は控訴を却下し、ノルウェー当局による決定は有効となった[20]。
2022年ロシアのウクライナ侵攻に参加していると報じられている[21]。
2023年8月25日、ヘルシンキでフィンランド警察に逮捕され[22]、ウクライナ当局はペトロフスキーの身柄引き渡しを要請した。ヘルシンキのロシア大使館はRIAノーボスチに対し「キエフの要請によりフィンランドでロシア人が拘束された」とし、「領事的な支援を提供する措置をとっている」と述べた。その後、ルシッチは自らのTelegramチャンネルでペトロフスキーがロシアに引き渡されるまで部隊はいかなる戦闘任務も停止すると発表した[23]。
フィンランドの検察当局の調べによると、ぺトロフスキーは2022年8月16日に初めてフィンランドに入国した。数日後にロシアに戻り、2023年7月19日にフィンランドの大学に入学した妻と子ども3人とともにヴァーリマー国境検問所からフィンランドに再入国している。ヴォジスラフ・トーデン(Torden Voislav)と名前を変え、1年間の滞在許可を得ていた[3][24]。
2023年12月8日、フィンランドの最高裁判所は、ウクライナの刑務所の状況、また国際犯罪であるためフィンランド側にウクライナでの犯罪容疑を捜査する権限があり、ジュネーブ条約締約国であるフィンランドは条約に基づいてぺトロフスキーを処罰できるとの理由からウクライナへの引き渡しを行わない判決を出した[25][26]。このため、戦争犯罪についての捜査と裁判はフィンランドで行われることとなった[27]。
2024年10月31日、フィンランドの検察当局はウクライナ東部での戦争犯罪容疑5件の容疑でぺトロフスキーを起訴した。ロシアによる軍事介入以前の2014年秋、ルガンスク人民共和国側のルシッチ副司令官として指揮していた部隊が、戦争法の規定に違反する行為により、ウクライナ軍兵士計22人を殺害、4人に重傷を負わせた容疑である[28]。ぺトロフスキーは、負傷、死亡した敵兵士に対する虐待行為などでも告発されている[29]。関与のみでなく、自らもウクライナ軍兵士を射殺しており、ルシッチのメンバーが撮影しインターネット上にアップロードした動画が証拠とされた。同年12月5日、ヘルシンキ地方裁判所で裁判が始まり、検察はぺトロフスキーに対して終身刑を求刑[30]。ぺトロフスキーは容疑を全て否認しているという[31][32]。
出典・脚注
[編集]- ^ “ウクライナ情勢に関する外国為替及び外国貿易法に基づく措置について”. 経済産業省 (2022年10月7日). 2023年1月21日閲覧。
- ^ “To war or to prison?”. Novaya Gazeta Europe (2022年8月12日). 2023年1月25日閲覧。
- ^ a b “Wagner-kiinniotto | Epäilty on pakotelistalla syntymänimellään – tuli Suomeen uuden nimen ja vaimon opintojen avulla” (フィンランド語). Helsingin Sanomat (2023年8月26日). 2024年12月13日閲覧。
- ^ “ROBOTOモスクワ事務所・ビジネスニュースクリップ (7/10)”. (一社)ロシアNIS貿易会(ROBOTO) (2022年12月16日). 2023年1月25日閲覧。
- ^ “Russia-related Designations; Issuance of Russia-related General License and Frequently Asked Questions; Zimbabwe-related Designation, Removals and Update; Libya-related Designation Update” (英語). U.S. Department of the Treasury (2022年9月15日). 2023年1月25日閲覧。
- ^ “ウクライナ情勢に関する外国為替及び外国貿易法に基づく措置について”. 経済産業省 (2022年10月7日). 2023年1月25日閲覧。
- ^ “PETROVSKY Yan Igorevich - biography, dossier, assets | War and sanctions” (英語). sanctions.nazk.gov.ua. 2023年1月25日閲覧。
- ^ a b “Враг государства и его основа Русского националиста Яна Петровского, обвиняемого в военных преступлениях на Украине, депортировали из Норвегии. Репортаж «Медузы»” (ロシア語). Meduza (2017年1月17日). 2023年1月20日閲覧。
- ^ Svendsen, Christine (2017年8月29日). “Sentral i nynazist-miljø i Norge: Ble IS-kriger” (ノルウェー語 (ブークモール)). NRK. 2023年1月20日閲覧。
- ^ a b Svendsen, Christine (2016年10月19日). “Kriget i Ukraina: Yan Petrovskiy pågrepet av væpnet politi” (ノルウェー語 (ブークモール)). NRK. 2023年1月20日閲覧。
- ^ AFP (2018年3月20日). “Russian neo-Nazi jailed for forcing prostitutes to march naked down street” (英語). www.timesofisrael.com. 2023年1月21日閲覧。
- ^ ノルウェーは、ダツィクが「オスロのロシア大使館の職員とイスラム教徒を殺害する計画を立てていた」として亡命を認めなかった。
- ^ “Норвегия отказала в убежище Рыжему Тарзану” (ロシア語). Lenta.RU (2010年10月7日). 2023年1月21日閲覧。
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- ^ “Eksklusivt intervju med nordmann som kriger i Novorossija” (ノルウェー語 (ブークモール)). Lykten (2015年2月27日). 2023年1月20日閲覧。
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- ^ ИноСМИ, NRK (2016年10月20日). “В Норвегии арестован русский экстремист” (ロシア語). ИноСМИ. 2023年1月20日閲覧。
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- ^ 「Германская разведка сообщила о воюющих в Украине "российских неонацистах". Они и сами этого не скрывают」『BBC News Русская служба』2022年5月22日。2023年1月20日閲覧。
- ^ “MTV:n tiedot: Wagneriin liitetyn sotajoukon johtaja on otettu kiinni Suomessa” (フィンランド語). mtvuutiset.fi (2023年8月25日). 2023年8月25日閲覧。
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- ^ “Wagner-kiinniotto | Suomi ei luovuta Wagner-taustaista Voislav Tordenia Ukrainaan – mies pysyy vielä lukkojen takana” (フィンランド語). Helsingin Sanomat (2023年12月8日). 2024年12月14日閲覧。
- ^ “Верховный суд Финляндии отказал Украине в экстрадиции одного из лидеров ДШРГ «Русич» Яна Петровского — из-за условий содержания заключенных в украинских колониях” (ロシア語). Meduza. 2024年12月14日閲覧。
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- ^ “Voislav Tordenille kovat syytteet sotarikoksista Itä-Ukrainassa” (フィンランド語). Yle Uutiset (2024年10月31日). 2024年12月13日閲覧。
- ^ “В Финляндии лидеру неонацистской группировки "Русич" Петровскому предъявили обвинения в совершении военных преступлений в Украине” (ロシア語). Настоящее Время (2024年10月31日). 2024年12月13日閲覧。
- ^ “В Финляндии для неонациста Воислава Тордена (он же Ян Петровский) запросили пожизненный срок” (ロシア語). Meduza (20204-12-05). 2024年12月14日閲覧。
- ^ “Прокурор требует для командира ”Русича” Воислава Тордена пожизненного заключения” (ロシア語). Новости (2024年12月5日). 2024年12月14日閲覧。
- ^ “Julmista sotarikoksista syytetty Voislav Torden kiistää kaiken: Kertoo video- ja avustustöistä” (フィンランド語). www.iltalehti.fi (2024年12月5日). 2024年12月14日閲覧。