ヤクラ
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ヤクラ Jacula | |
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出身地 | イタリア ミラノ |
ジャンル |
プログレッシブ・ロック[1] オカルト・ロック[2] |
活動期間 | 1969年 - 2017年[3] |
レーベル | Black Widow Records |
公式サイト |
www |
旧メンバー |
アントニオ・バルトチェッティ Rexanthony Florian Gorman Monika Tasnad フランツ・ポルテンジー ドリス・ノートン チャールズ・ティリング |
ヤクラ(Jacula)は、アントニオ・バルトチェッティ、ドリス・ノートン、オルガニストのチャールズ・ティリング、霊媒となるフランツ・ポルテンジーによる実験として、1969年にミラノで結成されたイタリアのプログレッシブ・ロック・バンドである[4]。
ヤクラの音楽は、初期のプログレッシブ・サークルの時代には革新的であると考えられていたが、ピンク・フロイド、ジェネシス、ジェントル・ジャイアントなどの新しいプログレッシブ・ロック・シーンのグループによりつくられた音楽が出現してきた時代において、このジャンルのほとんどのファンやアナリストから、暗くて奇妙なものとみなされた。
このバンドは実験的なものであり、創設者であるアントニオ・バルトチェッティから「若さゆえの過ち」とラベル付けされてしまったため、ヤクラのディスコグラフィは比較的小さい。
このグループは2枚のアルバムを完成させている。2001年にかなり改変されたバージョンでリリースされたアルバム『密教の秘儀』は、オルガン、ピアノ、その他のサウンド・エフェクトが重ね合わせられていた。アルバム『サバトの宴』は、フィアッマ・デッロ・スピリト (Fiamma Dello Spirito)の女性ボーカルをフィーチャーし、レ・オルメなどイタリアン・アンダーグラウンド・シーンのバンドの影響を受けたサウンドであった。1970年代、ヤクラは、同じラインナップを維持しながら、アントニウス・レックスに名前を変更した。
約40年後、ヤクラは再編し、2011年5月に3枚目のスタジオ・アルバム『Pre Viam』をリリースした。
ディスコグラフィ
[編集]アルバム
[編集]- 『サバトの宴』 - Tardo Pede In Magiam Versus (1972年)[3]
- 『密教の秘儀』 - In Cauda Semper Stat Venenum (2001年)[3]
- Pre Viam (2011年)[5][6]
脚注
[編集]- ^ Gordon Melton, J. (2011). The Vampire Book: The Encyclopedia of the Undead. Visible Ink Press. p. 387. ISBN 9781578592814 . "jacula progressive rock."
- ^ Lawson, Dom (2011年11月24日). “Occult rock: do you believe in black magic?”. The Guardian 16 June 2018閲覧。
- ^ a b c “Jacula | Biography & History”. 2020年3月21日閲覧。
- ^ “Jacula Biography”. 2016年3月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年6月8日閲覧。
- ^ “JACULA - Pre Viam (2011)”. 2020年3月21日閲覧。
- ^ “ANTONIUS REX Jacula”. 2020年3月21日閲覧。