モーラー
モーラーは、1975年に日本で増田屋コーポレーションが発売した玩具である。
1972年にオーストリア出身のフェリックス・プッシュカルスキー (Felix Puschkarski) が考案した。ドイツ語圏ではWurli、英語圏ではSquirmlesやMagic Twisty、フランス語圏ではSnikiなどの名称で発売され、大ヒットした。
概要
[編集]オリジナルの本体はオレンジ色のモール製で全長235ミリメートル、2つの目と尖った鼻を有する。鼻の先にはテグスが結びつけられており、このテグスを引っ張ることで、モーラーをまるで生きているかのごとく自在に操れる。
元々は1972年に当時24歳のプッシュカルスキーが西ドイツで実用新案権を取得した、Wurliという玩具であった。プッシュカルスキーは当初、路上でパフォーマンスをしながら販売していた。同年のミュンヘンオリンピックでは、競技場周辺で単独の実演販売を行い、9日間で10万個を売り上げた。その後、ニュルンベルク国際玩具見本市でアメリカ合衆国のバイヤーの目に止まり、1974年にアメリカではSquirmlesという名前で大々的にテレビCMのキャンペーンが行われ、2か月で500万個を売る大ヒットとなった[要出典]。
その後も各国で模倣品を含め販売され続けているロングセラー商品である。
なお、考案者のプッシュカルスキーは、1990年代後半より日本に在住しており、子に斉藤アリスがいる。
日本での展開
[編集]日本では1975年4月3日に増田屋コーポレーション(当時、増田屋齋藤貿易)から380円(2023年時点の756円と同等)で発売された[1]。
発売当初、販売促進のためにテレビCM(モーラーの声:田の中勇[要出典])のほか、おもちゃ屋の店頭や祭りなどで実演販売が行われた。
西ドイツからの初回輸入分50,000ダース(60万個)は数日で売り切れ、船便から航空便輸送に切り替えた後、最終的に日本国内で生産することになった。6月1日までの約2か月で135,000ダース(162万個)を販売する爆発的ヒットとなった。安価な大衆品ゆえに商品寿命は短く、すぐに7社から模倣品が発売されたものの、既にブームは過ぎ去っていた。ヒットした要因は、テレビでの実演、ネーミングの良さ、単価が安いことが推測された[1]。
派生作品として、1996年に電動の動くボールとモーラーを組み合わせた「じゃれっこモーラー」が発売されている[2]。
2005年にはマジシャンのマギー審司と契約し[要出典]、アライグマのラッキー君の友達となった。
2024年現在、増田屋コーポレーションから引き続き販売されている。
関連項目
[編集]- 愛理と菜々海と澤潟の れおぱーど・すくーる 〜ダメ出しください!〜 - 第3回放送の『しったかトーク!?』のコーナーでテーマになった。
脚注
[編集]- ^ a b 田辺, 昇一「モーラー大成功の秘密」『昭和50年代の経営原則』産業能率短期大学出版部、1976年、138-140頁。
- ^ “会社案内”. 増田屋コーポレーション. 2005年3月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年4月17日閲覧。
参考文献
[編集]- ドイツ国実用新案G7233769.0, Puschkarski, Felix, "Scherz- und Spielkörper zum Nachahmen von Lebewesen.", 1972.
- アメリカ合衆国特許第 3,990,176号, Puschkarski, Felix, "Life-like toy animal", 1973.
- 日本国特許第841632号, フェリックス・プッシュカルスキー『生きているように動く動物玩具』、1973年。
外部リンク
[編集]- “モーラー - ゲーム&バラエティー”. 増田屋コーポレーション. 2024年4月16日閲覧。