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モーガン・ラッセル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
モーガン・ラッセル
Morgan Russell
自画像(1907年頃)
生誕 (1886-01-25) 1886年1月25日
ニューヨーク
死没 1953年1月25日(1953-01-25)(67歳没)
フィラデルフィア
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モーガン・ラッセル作「シンクロニー(Synchromy)」(1914)、ヒューストン美術館
モーガン・ラッセル作「Cosmic Synchrony」(1913/1914)、 Munson-Williams-Proctor Arts Institute蔵

モーガン・ラッセル(Morgan Russell、1886年1月25日 - 1953年5月29日)は、アメリカ合衆国の画家である。「シンクロミズム(Synchromism)」 と呼ばれる、アメリカの抽象絵画のスタイルの創始者とされる。

略歴

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ニューヨークで生まれ、育った。はじめ建築を学ぶが、17歳になったころ、彫刻家のアーサー・リー(Arthur Lee: 1881–1961)と知り合い、モデルを務め、しばらく同居した。1903年から1905年の間、アート・スチューデンツ・リーグ・オブ・ニューヨークでアーサー・リーとジェームズ・アール・フレーザー(Jmes Earle Fraser: 1876–1953)に彫刻を学び、彫刻の授業でモデルも務めた。富豪の娘で彫刻家のガートルード・ヴァンダービルト・ホイットニーの経済的支援を受けて、1906年1月にパリローマに修行に出た。1907年にニューヨークに戻り、アッシュカン派の画家 ロバート・ヘンライが開いていた美術学校で絵画を学んだ。1909年に再びパリに移り、アンリ・マティスの美術学校で学び、アメリカの美術収集家 ガートルード・スタインのサロンに通い、パブロ・ピカソオーギュスト・ロダンにも会った。

1911年に、パリでアメリカ出身の画家スタントン・マクドナルド=ライト(Stanton Macdonald-Wright: 1890–1973)と出会い、ラッセルとマクドナルド=ライトは新しい抽象絵画のスタイルを開いていくことになった。1912年6月にミュンヘンの画廊「Der Neue Kunstsalon」で最初のグループ展を開き、その4か月後にパリの画廊でも「シンクロミズム」の名前を冠した展示会を開いた。当時この運動に関わったパリのアメリカ人画家には、トーマス・ハート・ベントンやアンドリュー・ダスバーグ(Andrew Michael Dasburg: 1887–1979)、パトリック・ヘンリー・ブルースらがいた。パトリック・ヘンリー・ブルースはキュビスムよりも抽象化を進める「オルフィスム」を提唱したフランスの画家、ロベール・ドローネーソニア・ドローネーとも親しく、「シンクロミズム」と「オルフィスム」のスタイルが近かったことは議論を呼んだ[1]

ラッセルとマクドナルド=ライトは、「シンクロミズム」がニューヨークの美術界で、高く評価され、経済的な成功を得られることを期待していた。ラッセルは1913年にニューヨークで開かれた、ヨーロッパとアメリカの新しい美術を紹介したアーモリーショーや1916年に開かれたアメリカのモダニズムの画家の展覧会(Creating Forum Exhibition of Modern American Painters)に出展したが当時のコレクターや批評家はまだ抽象絵画を受け入れることはなく、また受け入れたとしてもより有名になっていたヨーロッパの画家の作品を好んだ。マクドナルド=ライトの兄でS・S・ヴァン・ダインのペンネームの推理小説作家としても有名な美術評論家のウィラード・ハンティントン・ライト (Willard Huntington Wright)が著書で「シンクロミズム」を取り上げた[2]。1920年ころまでにはラッセルとマクドナルド=ライトとは別々の道を歩むようになり、マクドナルド=ライトはアメリカのカリフォルニアで活動するようになった[3]

ラッセルは、1946年まで40年近くフランスで過ごした後、アメリカに戻って引退した。晩年はヌードを多く描き、具象的なスタイルの作品を描いた。2度の脳卒中で身体に障害を負った後、1953年にフィラデルフィア郊外の老人ホームで67歳で亡くなった。

1970年ころになって再評価されるようになり、1990年にニュージャージー州のモンクレア美術館で最初の回顧展が開催された。

脚注

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  1. ^ South, Will (2001). Color, Myth, and Music: Stanton Macdonald-Wright and Synchromism. Raleigh, North Carolina: North Carolina Museum of Art. p. 43 
  2. ^ For Willard Huntington Wright's campaign on behalf of his brother and Morgan Russell, see John Loughery, Alias S.S. Van Dine (New York: Scribners, 1992), pp. 86–104.
  3. ^ Kushner, pp. 191–192.

参考文献

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  • Davidson, Abraham A. (1994). Early American Modernist Painting, 1910–1935. New York: DaCapo.
  • Hughes, Robert (1994). American Visions: The Epic History of Art in America. New York: Knopf.
  • Kushner, Marilyn (1990). Morgan Russell. New York: Hudson Hills.
  • Levin, Gail (1978). Synchromism and American Color Abstraction, 1910–1925. New York: George Braziller.
  • Loughery, John (1995). Alias S.S. Van Dine. New York: Henry Holt.
  • South, Will (2001). Color, Myth, and Music: Stanton Macdonald-Wright and Synchromism. Raleigh, North Carolina: North Carolina Museum of Art.
  • Synchromism: Morgan Russell and Stanton Macdonald-Wright. New York: Hollis Taggart Galleries. 1999.