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モンクスウェル男爵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
モンクスウェル男爵

紋章記述

Arms:Argent on a Chevron Azure between in chief two Demi-Unicorns courant and in base an Elephant's Head erased Gules three Oak Branches slipped leaved and fructed Or Crest:A Demi-Man affrontée proper holding in the dexter hand an Oak Branch slipped and leaved proper fructed Or and resting the sinister hand on an Escutcheon Azure charged with two Keys saltirewise Or Supporters:On either side a Druid vested Argent wreathed about the temples with Laurel Leaves Vert and resting the exterior hand on an Escutcheon Azure charged with a Balance suspended Or
創設時期1885年7月1日
創設者ヴィクトリア
貴族連合王国貴族
初代初代男爵ロバート・コリアー英語版
現所有者6代男爵ジェームズ・コリアー
相続資格初代男爵の嫡出直系男子
付随称号なし
現況存続
モットーPersevere

モンクスウェル男爵: Baron Monkswell)はイギリスの男爵貴族連合王国貴族爵位。法曹界出身の自由党政治家サー・ロバート・コリアー英語版1885年に叙位されたことに始まる。

なお、コリアー家に男爵位以外の保有爵位はない。

歴史

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初代男爵ロバート・コリアー
画家ジョン・コリアーは初代男爵のヤンガーソンにあたる人物。

その祖ロバート・コリアー英語版(1817–1886)民事高等裁判所首席判事英語版法務長官を務めた法曹家である[1][2][3]。彼は1885年7月1日連合王国貴族としてデヴォン州モンクスウェルのモンクスウェル男爵(Baron Monkswell, of Monkswell in the County of Devon)に叙せられた[1][2][3][4]

その息子である2代男爵ロバート(1845-1909)も父同様に自由党の政治家として活動して、ヴィクトリア女王付侍従英語版戦争省担当次官英語版を歴任した[3]

3代男爵ロバート(1875-1964)は襲爵後に議員として貴族院に列したのち、議会法案審議時には『ダイ・ハード(頑強な抵抗者)』に加わって、法案阻止に動いた[註釈 1][7]。彼には子がなかったため、爵位は甥のウィリアムが継承した[2]

4代男爵ウィリアム(1913-1984)は襲爵直後の1964年4月7日に、1963年貴族法に基づいて爵位一代放棄を行った[2][8]

その孫にあたるジェームズ(1977-)2020年に6代男爵の地位を継承して、彼が男爵家現当主である。


一族に関連する人物に、ラファエル前派の肖像画家ジョン・コリアー(1850-1934)が挙げられ、彼は初代男爵の次男にあたる[9]。また、その子ローレンス英語版(1890-1976)駐ノルウェー大使英語版を務めた外交官である[10]

爵位にかかるモットーは『貫き通せ(Persevere)[2][3]

モンクスウェル男爵(1885年)

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脚注

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註釈

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  1. ^ 保守党貴族院議員112人は、庶民院の優越を認める議会法案に反対してグループ『ダイ・ハード』を形成、反発した[5]。しかし、アスキス率いる自由党政府は新貴族創家の意思を明示するなどして強硬姿勢を崩さず、法案は1911年議会法として成立するに至った[6]

出典

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  1. ^ a b Pugsley, David. "Collier, Robert Porrett, first Baron Monkswell". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/5921 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)
  2. ^ a b c d e Monkswell, Baron (UK, 1885)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2020年8月5日閲覧。
  3. ^ a b c d Arthur G.M. Hesilrige. “Debrett's peerage, and titles of courtesy, in which is included full information respecting the collateral branches of Peers, Privy Councillors, Lords of Session, etc : Free Download, Borrow, and Streaming” (英語). Internet Archive. p. 645. 2020年8月5日閲覧。
  4. ^ "No. 25486". The London Gazette (英語). 3 July 1885. p. 3060.
  5. ^ バーバラ・タックマン 著、大島かおり 訳『世紀末のヨーロッパ 誇り高き塔・第一次大戦前夜』筑摩書房、1990年(平成2年)、452頁。ISBN 978-4480855541 
  6. ^ 田中 嘉彦『英国の貴族院改革―ウェストミンスター・モデルと第二院』(初版)成文堂、2015年9月30日、37頁。ISBN 978-4-7923-3336-2 
  7. ^ Gregory D. Phillips, The "Diehards" and the Myth of the "Backwoodsmen," The Journal of British Studies, Vol. 16, No. 2. (Spring, 1977), 105.
  8. ^ "No. 43293". The London Gazette (英語). 10 April 1964. p. 3085.
  9. ^ Springall, Jill. "Collier, John". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/32499 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)
  10. ^ Mosley, Charles, ed (2003). Burke's Peerage, Baronetage & Knighthood. 2 (107 ed.). Burke's Peerage & Gentry. p. 2738. ISBN 0-9711966-2-1 

関連項目

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