モフタル・ルビス
モフタル・ルビス | |
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1979年撮影 | |
生誕 |
1922年3月7日 オランダ領東インド 西スマトラ州パダン |
死没 |
2004年7月2日 (82歳没) インドネシア ジャカルタ |
市民権 | インドネシア |
受賞 |
ラモン・マグサイサイ賞(1958年、ロバート・ディックとともに受賞) |
モフタル・ルビス(Mochtar Lubis、[moxˈtar luˈbɪs]、1922年3月7日 - 2004年7月2日)は、インドネシアのバタック人ジャーナリスト、小説家で、新聞『インドネシア・ラヤ (Indonesia Raya)』や月刊文芸誌『ホリソン (Horison)』の共同創設者となった。彼の小説『ジャカルタの黄昏 (Senja di Jakarta)』は、インドネシア語の小説とした初めて英語に翻訳された。彼はスハルトを批判したため、スハルトによって投獄された[1]。
経歴
[編集]ルビスは1922年3月7日に、スマトラ島のケリンチ県スンガイ・ぺヌフで、高位の公務員であったラジャ・パンダポタン・ルビス (Raja Pandapotan Lubis) とその妻の間に生まれた[2]。彼は、12人きょうだいの6番目の子どもであった[3]。
子どもの頃から児童文学を書き、メダンで発行されていた新聞『Sinar Deli』の紙上で発表されていた[2]。青年期には、しばしばスマトラ島のジャングルを歩き回った。後に彼は、この時期の二つの出来事を小説にしており、しっかりした作りながら放棄された小屋を見かけたことや、間近で虎を見たことなどが小説『虎!虎! (Harimau! Harimau!)』のインスピレーションとなった[4]。
高校卒業後、彼は北スマトラ州のニアス島で教師として働いた。しかし、1年後にはバタヴィアへ赴き、銀行で働き始めた。やがて第二次世界大戦が勃発し、1942年に日本がインドネシアを占領すると、ルビスは日本人のために働くようになり、同盟通信社の記者となって[5]、大日本帝国陸軍のために国際ニュースの翻訳にあたった[2]。
1945年にインドネシア独立宣言が出されると、ルビスはインドネシアのニュース通信社アンタラの記者となった[6]。アンタラの記者として、彼は1947年のアジア関係会議を取材した。同じ時期に彼は、小説『果てしなき道 (Jalan Tak Ada Ujung)』を書き、インドネシア視覚芸術協会 (the Indonesian Visual Artists Association) に加わった[2]。
1949年、彼は新聞『インドネシア・ラヤ』の共同創設者となり、後に同紙の編集長となった。同紙の編集長として、批判的な記事を書き、何度となく投獄されたが、特に1957年から1966年にかけては東ジャワ州マディウンに収監されていた[6]。1955年、同紙の編集者だった彼は、バンドン会議のために3週間インドネシアを訪れていたアフリカ系アメリカ人作家リチャード・ライトを招いた。『インドネシア・ラヤ』は1955年4月から5月にかけて、ライトに関する記事をいくつも掲載した[7]。
1975年2月4日、彼は、日本の首相田中角栄の訪問中に発生した1974年のマラリ事件に関係したとして逮捕された[8]。『インドネシア・ラヤ』も、プルタミナの腐敗スキャンダルを報じたとして、事件の少し後から発行禁止となった[6]。彼は、裁判もないままヌサ・カンバンガン島のニルバヤ監獄 (Nirbaya prison) に2か月投獄され、1975年4月14日に釈放された。彼は、他にも裁判のないまま何年も投獄されている者がいるとして、インドネシア空軍の元司令官オマル・ダニの例を挙げた[8]。収監中、彼は熱心にヨガを実践するようになった[9]。
彼が創設したり、共同創設者となった雑誌や組織は多数にのぼるが、その中には、1970年のオボル・インドネシア財団 (the Obor Indonesia Foundation)[2]、雑誌『ホリソン』、インドネシア緑化財団 (the Indonesian Green Foundation) などが含まれている[3]。彼は、公然とインドネシアにおける報道の自由の必要を訴え[6]、正直な、ナンセンスなことを書かない記者としての評価を得ていた[2]。2000年、国際新聞編集者協会は、過去50年間における50人の「World Press Freedom Heroes(世界報道の自由のヒーローたち)」のひとりとして彼を指名した [10]。
晩年、長らくアルツハイマー病を患っていた彼は、メディストラ病院で、2004年7月2日に、82歳で死去した[9]。彼は、ジェルク・プルト墓地の、妻の隣に埋葬された[8]。彼の葬儀には、何百人もの弔問客が集まり、ジャーナリストで作家でもあるロシハン・アンワルやラマダン・K・Hも参列した[9]。
彼は、シティ・ハリマフ (Siti Halimah) と結婚していたが、妻は2001年に先立った。ふたりの間には3人の子どもたちが生まれ、孫は8人いた。
受賞
[編集]1958年、ルビスはラモン・マグサイサイ賞の報道・文学・創造的情報伝達賞を、編集者であるロバート・ディックとともに受賞した[11]。
ルビスの小説『虎!虎!』は、1975年に教育文化省傘下の Yayasan Buku Utama により、最優秀書籍に指名され[12]、1979年には出版社プスタカ・ジャヤの親組織に当たる Yayasan Jaya Raya から賞を授与された[13]。
作品
[編集]小説
[編集]年 | 題 | 日本語題 | 英語題 | 注記 |
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1950 | Tidak Ada Esok[14] | 明日はない | There is No Tomorrow | |
1952 | Jalan Tak Ada Ujung | 果てしなき道 | The Never-ending Road | Badan Musyawarah Kebudayaan Nasional から賞を受賞[14]。 |
1963 | Senja di Jakarta | ジャカルタの黄昏 | Twilight in Jakarta | オリジナル版は英語。マレー語版は、1964年[14]。 |
1966 | Tanah Gersang | Barren Land | ||
1975 | Harimau! Harimau! | 虎!虎! | Tiger! Tiger! | Yayasan Buku Utama から年間最優秀書籍に選定[14]。 |
1977 | Maut dan Cinta | Death and Love | Yayasan Jaya Raya から賞を受賞[14]。 |
短編集
[編集]年 | 題 | 英語題 |
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1950 | Si Jamal[14] | The Beauty |
1956 | Perempuan[14] | Women |
脚注
[編集]- ^ Hill, David (1 July 2005). “Mochtar Lubis”. Inside Indonesia. 23 November 2008時点のオリジナルよりアーカイブ。10 July 2008閲覧。
- ^ a b c d e f Her Suheryanto (4 April 2010). “A Fresh look at the legacy of Mochtar Lubis”. The Jakarta Post. 9 July 2011閲覧。
- ^ a b A. Junaidi (16 August 2004). “Loyal, outspoken, loved: Mochtar's friends remember”. The Jakarta Post. 11 October 2012時点のオリジナルよりアーカイブ。9 July 2011閲覧。
- ^ Lubis & Lamoureux 1991, p. vii
- ^ 「モフタル・ルビス」『日本大百科全書(ニッポニカ)』 。コトバンクより2023年11月19日閲覧。 - 執筆:佐々木信子
- ^ a b c d A. Junaidi (3 July 2004). “Press freedom fighter, writer Mochtar Lubis passes away”. The Jakarta Post. 11 October 2012時点のオリジナルよりアーカイブ。9 July 2011閲覧。
- ^ Roberts and Foulcher (2016). Indonesian Notebook: A Sourcebook on Richard Wright and the Bandung Conference. Duke University Press. pp. 67–88
- ^ a b c Warief Djajanto Basorie (9 September 2008). “The irrepressible and intimate Mochtar Lubis”. The Jakarta Post. 9 July 2011閲覧。
- ^ a b c “Press freedom champion Mochtar 'only feared for his Juliet'”. The Jakarta Post (4 July 2004). 2012年10月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。9 July 2011閲覧。
- ^ “World Press Freedom Heroes”. International Press Institute (2000年). 2 November 2012時点のオリジナルよりアーカイブ。26 January 2012閲覧。
- ^ “The Ramon Magsaysay Awardees by Category – Journalism, Literature, and the Creative Communication Arts”. Ramon Magsaysay Award. 31 May 2008時点のオリジナルよりアーカイブ。10 July 2008閲覧。
- ^ Mahayana, Sofyan & Dian 2007, p. 243
- ^ Eneste 2001, p. 61
- ^ a b c d e f g Lubis, Mochtar. Harimau! Harimau! Eighth printing. 2008. Yayasan Obor Indonesia: Jakarta. Pp. 213–214. ISBN 978-979-461-109-8.(Taken from the "About the Author" section) (In Indonesian)
参考文献
[編集]- Eneste, Pamusuk (2001) (インドネシア語). Bibliografi Sastra Indonesia [Bibliography of Indonesian Literature]. Magelang, Indonesia: Yayasan Indonesiatera. ISBN 979-9375-17-7
- Lubis, Mochtar; Lamoureux, Florence (1991). Tiger!. Singapore: Select Books. ISBN 981-00-2265-4
- Mahayana, Maman S.; Sofyan, Oyon; Dian, Achmad (2007) (インドネシア語). Ringkasan dan ulasan novel Indonesia modern [Summaries and Commentary on Modern Indonesian Novels]. Grasindo. ISBN 9789790250062