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メヒティルト・フォン・デア・プファルツ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
メヒティルト・フォン・デア・プファルツ
Mechthild von der Pfalz

出生 (1419-03-07) 1419年3月7日
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
プファルツ選帝侯領ハイデルベルク城
死去 (1482-08-22) 1482年8月22日(63歳没)
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
プファルツ選帝侯領ハイデルベルク城
埋葬 神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
ヴュルテンベルク=ウラッハ伯領、ギューターシュタイン修道院ドイツ語版
配偶者 ヴュルテンベルク=ウラッハ伯ルートヴィヒ1世
  オーストリア大公アルブレヒト6世
子女 メヒティルト
ルートヴィヒ2世
アンドレアス
エーバーハルト1世
エリーザベト
家名 プファルツ家
父親 プファルツ選帝侯ルートヴィヒ3世
母親 マティルデ・ディ・サヴォイア=ピエモンテ
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メヒティルト・フォン・デア・プファルツ(16世紀)

メヒティルト・フォン・デア・プファルツ(ドイツ語:Mechthild von der Pfalz, 1419年3月7日 - 1482年8月22日)は、15世紀の文芸の庇護者[1]

生涯

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メヒティルトはプファルツ選帝侯ルートヴィヒ3世の娘で、15歳の時にヴュルテンベルク=ウラッハ伯ルートヴィヒ1世と結婚した。5人の子女が生まれたが、1450年、メヒティルトが31歳の時にルートヴィヒ1世は死去した[2]:1431452年オーストリア大公アルブレヒト6世と再婚した[1]1463年にアルブレヒト6世が死去した後、メヒティルトはロッテンブルク・アム・ネッカー英語版に引退した[3]。この地はメヒティルトが死去するまで文芸の中心地となった[4]

メヒティルトは愛書家で知られていた[5]。ヤーコプ・ピューテリヒ・フォン・ライヒャーツハウゼン(Jakob Püterich von Reichertshausen)はメヒティルトのために詩を書き、その中でメヒティルトとライヒャーツハウゼンがそれぞれの図書館で収集した全ての本を挙げている[6]。メヒティルトはこの詩の作成のために、ライヒャーツハウゼンに94冊の本のリストを送っているが、それらの本の多くが、ライヒャーツハウゼンがそれまで聞いたことがない本であったという[6]

1457年、息子エーバーハルト1世とともに、メヒティルトはフライブルク・イム・ブライスガウフライブルク大学を創設した[4]1477年にはテュービンゲン大学も息子と共に創設している[4]

メヒティルトは1482年8月22日に死去し、ギューターシュタインのカルトジオ会修道院に埋葬された[2]:144

子女

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ヴュルテンベルク=ウラッハ伯ルートヴィヒ1世との間に以下の5子をもうけた。

  • メヒティルト(1436年以降 - 1495年6月6日) - 1454年にヘッセン方伯ルートヴィヒ2世と結婚
  • ルートヴィヒ2世(1439年4月3日 - 1457年11月3日) - ヴュルテンベルク=ウラッハ伯(1450年 - 1457年)
  • アンドレアス(1443年4月11日 - 5月19日)
  • エーバーハルト1世(1445年 - 1496年) - ヴュルテンベルク=ウラッハ伯(1457年 - 1495年)、ヴュルテンベルク公(1495年 - 1496年)
  • エリーザベト(1447年10月4日 - 1505年6月3日) - 1470年にザールブリュッケンでナッサウ=ザールブリュッケン伯ヨハン2世(1423年 - 1472年)と結婚、1474年にシュトルベルク伯ハインリヒ(1436年 - 1511年)と結婚

脚注

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  1. ^ a b >Watanabe, Morimichi (2011). Nicholas of Cusa: A Companion to His Life and His Times. Ashgate Publishing, Ltd.. p. 106. ISBN 978-1409420392. https://books.google.com/books?id=X3S-Jk_LZwEC&q=Mechthild%2C+countess+of+the+Palatinate&pg=PA106 
  2. ^ a b Clogan, Paul Maurice (1995). Studies in Medieval and Renaissance Culture: Diversity, Issue 22. Rowman & Littlefield. ISBN 0847680991. https://books.google.com/books?id=O1ZVbqS6eiYC&q=Mechthild%2C+countess+of+the+Palatinate&pg=PA141 
  3. ^ Pius II (1988). Eurialus and Lucretia. Rodopi. p. 65. ISBN 9062039995. https://books.google.com/books?id=8N8gH0f6-YAC&q=Mechthild%2C+countess+of+the+Palatinate&pg=PA65 
  4. ^ a b c Camden House Publishing (2001). Camden House History of German Literature. Boydell & Brewer. p. 788. ISBN 1571131035. https://books.google.com/books?id=-yWvO3w9Zy4C&q=Mechthild%2C+countess+of+the+Palatinate&pg=PA788 
  5. ^ Christ, Karl (1984). The handbook of medieval library history. Scarecrow Press. ISBN 9780810816541. https://books.google.com/books?id=fifhAAAAMAAJ&q=Mechthild,+countess+of+the+Palatinate 
  6. ^ a b Jeep, John M. (2001). Medieval Germany: An Encyclopedia. Psychology Press. p. 632. ISBN 0824076443. https://books.google.com/books?id=p4uHav3mZLsC&q=Mechthild%2C+countess+of+the+Palatinate&pg=PA632