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メノイケウス宛の手紙

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

メノイケウス宛の手紙[1]は、エピクロスの著作。彼の著作としては3つの手紙が知られているが、この手紙は主に倫理的な生き方を論じる。メノイケウスとはエピクロスの弟子であろう。

出典

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ディオゲネス・ラエルティオスの『ギリシア哲学者列伝[2]の第10巻にエピクロスの教説、著作が収録されている。エピクロスの3つの手紙と『主要教説』はこれによって知られる。この『哲学者列伝』の122-135節に『メノイケウス宛の手紙』が引用されている。

各節の概要

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節番号は『哲学者列伝』に従った。

122 哲学をするのに、若すぎるとか年をとりすぎたという事はない。

123 神々は不滅で至福だ。それにふさわしくない事を神々におしつけてはならない。

124 死はわれわれにとって何ものでもない。死とは感覚が失われることだから。

125 われわれが生きている時には死はないし、死が来た時にはわれわれはいない。

126 賢者はうまい食べ物を選ぶように、最も快い時間を味わい楽しむ。

127 欲望のうち、あるものは不要だが、あるものは必要だ。

128 身体の健康と精神の平静さが至福な生の目的である。

129 (ヘードネー ἡδονή) が第一の善 (アガトン Ἀγάθων) であり、われわれは快を出発点として、すべての選択をおこなう。

130 多くのものを所有していない場合、自己充足は大きな善である。

131 快とは、身体に苦痛のないことと、魂に動揺がないことである。

132 快の出発点であり、かつ最大の善は、思慮である。

133 神々に関して敬虔で、死を恐れず、自然の定めた目的を考えている人はすぐれている。

134 思慮ある人は偶然を神と見なしたり、偶然が世の中の事象の原因とは考えない。

135 以上のことに思いをいたせば、魂を乱されず、神のように生きるであろう。

脚注

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出典

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  1. ^ エピクロス著 C.Bailey編 出隆、岩崎允胤訳 教説と手紙 岩波文庫 1959年
  2. ^ ディオゲネス・ラエルティオス著 加来彰俊訳 ギリシア哲学者列伝 岩波文庫 1994年