メガラ
メガラ Μέγαρα | |
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所在地 | |
座標 | 北緯38度0分 東経23度20分 / 北緯38.000度 東経23.333度座標: 北緯38度0分 東経23度20分 / 北緯38.000度 東経23.333度 |
域内の位置 | |
行政 | |
国: | ギリシャ |
地方: | アッティカ |
県: | 西アッティカ県 |
人口統計 (2001年) | |
ディモス | |
- 人口: | 35,675 人 |
- 面積: | 330.3 km2 |
- 人口密度: | 108 人/km2 |
旧自治体 | |
- 人口: | 28,195 人 |
- 面積: | 322.2 km2 |
- 人口密度: | 88 人/km2 |
その他 | |
標準時: | EET/EEST (UTC+2/3) |
メガラ(Μέγαρα / Mégara)は、古代ギリシャのアッティカ西部・メガリスにあった都市国家。メガラーとも表記される。メガラ人が築いた植民市の中には、ビュザンティオン(現在のイスタンブール)がある。
現代のメガラ(Μέγαρα / Mégara)は、ギリシャ共和国アッティカ地方にある都市・基礎自治体(ディモス)の名でもある。
地理
[編集]位置・広がり
[編集]メガラは西アッティカ県の南西部に所在し、アテネから西北西へ約42kmの距離に位置する。コリントス地峡北東部のサロニコス湾側(南岸)、メガリス平野 (Megaris) 南部に所在し、サロニコス湾にほど近い。とくにメガラ前面の南の海をメガラ湾ともいう。古代のメガラは一時期サラミス島を支配したが、アテネ(アテナイ)とはサラミス島を挟んで反対側に位置する。
自治体としてのメガラ市の領域は、コリントス地峡を形作る海の双方(南東のサロニコス湾、北西のコリンティアコス湾)に面している。
地勢
[編集]メガリス平野 (Megaris) が広がる。
主要な都市・集落
[編集]人口1000人以上の都市・集落には以下がある(人口はいずれも2001年国勢調査)。
歴史
[編集]古代
[編集]歴史時代の初期、メガラはコリントスの属領であった。メガラからの植民者たちは、シチリア島のシュラクサイの北にメガラ・ヒュブラエア(現在のシラクーザ県アウグスタ)という都市を築いた。メガラ人たちはコリントスからの独立戦争を戦い、紀元前685年頃にはカルケドン、紀元前667年頃にはビュザンティオンを建設した。
紀元前7世紀の終わり、テアゲネス (Theagenes of Megara) はメガラの僭主となった。テアゲネスは、富裕者の家畜を屠殺することによって貧困層の支持を得たという。ペルシャの第二次侵攻(ペルシャ戦争)において、メガラはアテナイやスパルタと同じ陣営につき、サラミスの海戦やプラタイアの戦いなどの重要な戦闘に従った。
紀元前460年ごろ、スパルタが牛耳るペロポネソス同盟からメガラは離反するが、このことは第一次ペロポネソス戦争(紀元前460年 - 紀元前445年)のきっかけとなった。「30年不戦条約」(紀元前446年あるいは紀元前445年)を契機として、メガラはペロポネソス同盟に復帰した。ペロポネソス戦争(紀元前431年 - 紀元前404年)では、メガラはスパルタの同盟者であった。メガラとアテナイの経済を巡るいくつかのできごと(アテナイが支配下の領域でメガラ人の商業活動を禁じたことなど)は、ペロポネソス戦争の原因の一つと考えられている。
メガラは貿易の拠点でもあり、地元住民は船を利用したり、近隣のポリスへの武器提供を行っていた。メガラにある2つの港のうち、西側のペガイはコリンティアコス湾にあり、東側のニサイアはエーゲ海のサロニコス湾にあった。
メガラ人の築いた植民市には、以下のようなものがある。
- ケルソネソス - 現: ウクライナのセヴァストポリ
- メセンブリア - 現: ブルガリアのネセバル
- ヘラクレア・ポンティカ - 現: トルコのカラデニズ・エレーリ
- アスタクス - 現在: トルコのイズミット(旧称: ニコメディア)
- ビュザンティオン - 現: トルコのイスタンブール(旧称: ビザンチウム、コンスタンティノープル)
- カルケドン - 現: トルコのカドゥキョイ(イスタンブールの一部)
- メガラ・ヒュブラエア - 現:イタリアのアウグスタ
現代
[編集]農業地帯であったが、1960年代から1970年代にかけて住宅地の開発が進んだ。
行政区画
[編集]基礎自治体(ディモス)
[編集]メガラ市(Δήμος Μεγαρέων)は、西アッティカ県に属する基礎自治体(ディモス)の一つである。
現在のメガラ市は、カリクラティス改革(2011年1月施行)にともない、旧メガラ市とネア・ペラモス市が合併して発足した。旧自治体は、新自治体を構成する行政区(ディモティキ・エノティタ)となっている。なお、カリクラティス改革以前の旧メガラ市は、アッティカ地方最大の面積を持つ自治体であった。
下表の番号は、下に掲げた「旧自治体」地図の番号に相当する。面積の単位はkm²、人口は2001年国勢調査時点。
旧自治体名 | 綴り | 政庁所在地 | 面積 | 人口 | |
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8 | メガラ | Μέγαρα | メガラ | 322.2 | 28,195 |
9 | ネア・ペラモス | Νέα Πέραμος | ネア・ペラモス | 7.9 | 7,480 |
交通
[編集]アテネとペロポネソス半島を結ぶ交通路が市内を通過している。
文化・観光
[編集]ギリシア神話の中のメガラ
[編集]ギリシャ神話によれば、アテーナイ王パンディーオーンは、内乱が発生した際にメガラーに亡命した。メガラー王ピュラースの娘ピュリアーと結婚し、のちにピュラースから国を譲られてメガラーを支配した。パンディーオンはメガラーで没したが、その後パンディーオンの4人の息子たち(アイゲウス、パラース、ニーソス、リュコス)がアテーナイを奪回し、アッティカを4人で分割した。メガラーを支配することになったのはニーソス(ニューソスとも)である。ニーソスには3人の娘がおり、長女エウリュノメーは海神ポセイドーンとの間に英雄ベレロポーンを生んだとされる。次女イーピノエーはメガレウス (Megareus of Onchestus) の妻となった。
クレータの王ミーノースがアテーナイとメガラに戦争を仕掛けたとき、ニーソスの末娘のスキュラは、敵将のミーノース王に恋をし、父と祖国を裏切ったものの、その行為を嫌悪したミーノースは彼女を拒絶したと伝えられている。
人物
[編集]- ビュザス(ビュザンタス) - 紀元前7世紀、ビュザンティオンの創始者とされる人物。
- メガラのテオグニス - 紀元前6世紀の詩人。
- メガラのエウクレイデス - 紀元前4世紀初頭の哲学者。メガラ学派の祖。