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メガラ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
メガラ
Μέγαρα
所在地
メガラの位置(ギリシャ内)
メガラ
メガラ
座標 北緯38度0分 東経23度20分 / 北緯38.000度 東経23.333度 / 38.000; 23.333座標: 北緯38度0分 東経23度20分 / 北緯38.000度 東経23.333度 / 38.000; 23.333
域内の位置
行政
国: ギリシャの旗 ギリシャ
地方: アッティカ
: 西アッティカ県
人口統計 (2001年)
ディモス
 - 人口: 35,675 人
 - 面積: 330.3 km2
 - 人口密度: 108 人/km2
旧自治体
 - 人口: 28,195 人
 - 面積: 322.2 km2
 - 人口密度: 88 人/km2
その他
標準時: EET/EEST (UTC+2/3)

メガラΜέγαρα / Mégara)は、古代ギリシャアッティカ西部・メガリスにあった都市国家。メガラーとも表記される。メガラ人が築いた植民市の中には、ビュザンティオン(現在のイスタンブール)がある。

現代のメガラΜέγαρα / Mégara)は、ギリシャ共和国アッティカ地方にある都市・基礎自治体(ディモス)の名でもある。

地理

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位置・広がり

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メガラは西アッティカ県の南西部に所在し、アテネから西北西へ約42kmの距離に位置する。コリントス地峡北東部のサロニコス湾側(南岸)、メガリス平野 (Megaris南部に所在し、サロニコス湾にほど近い。とくにメガラ前面の南の海をメガラ湾ともいう。古代のメガラは一時期サラミス島を支配したが、アテネ(アテナイ)とはサラミス島を挟んで反対側に位置する。

自治体としてのメガラ市の領域は、コリントス地峡を形作る海の双方(南東のサロニコス湾、北西のコリンティアコス湾)に面している。

地勢

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メガリス平野 (Megarisが広がる。

主要な都市・集落

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人口1000人以上の都市・集落には以下がある(人口はいずれも2001年国勢調査)。

歴史

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古代

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メガラの遺跡から出土した金細工品

歴史時代の初期、メガラはコリントスの属領であった。メガラからの植民者たちは、シチリア島シュラクサイの北にメガラ・ヒュブラエア(現在のシラクーザ県アウグスタ)という都市を築いた。メガラ人たちはコリントスからの独立戦争を戦い、紀元前685年頃にはカルケドン紀元前667年頃にはビュザンティオンを建設した。

紀元前7世紀の終わり、テアゲネス (Theagenes of Megaraはメガラの僭主となった。テアゲネスは、富裕者の家畜を屠殺することによって貧困層の支持を得たという。ペルシャの第二次侵攻(ペルシャ戦争)において、メガラはアテナイやスパルタと同じ陣営につき、サラミスの海戦プラタイアの戦いなどの重要な戦闘に従った。

紀元前460年ごろ、スパルタが牛耳るペロポネソス同盟からメガラは離反するが、このことは第一次ペロポネソス戦争紀元前460年 - 紀元前445年)のきっかけとなった。「30年不戦条約」(紀元前446年あるいは紀元前445年)を契機として、メガラはペロポネソス同盟に復帰した。ペロポネソス戦争紀元前431年 - 紀元前404年)では、メガラはスパルタの同盟者であった。メガラとアテナイの経済を巡るいくつかのできごと(アテナイが支配下の領域でメガラ人の商業活動を禁じたことなど)は、ペロポネソス戦争の原因の一つと考えられている。

メガラは貿易の拠点でもあり、地元住民は船を利用したり、近隣のポリスへの武器提供を行っていた。メガラにある2つの港のうち、西側のペガイコリンティアコス湾にあり、東側のニサイアはエーゲ海のサロニコス湾にあった。

古代メガラの植民市

メガラ人の築いた植民市には、以下のようなものがある。

現代

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農業地帯であったが、1960年代から1970年代にかけて住宅地の開発が進んだ。

行政区画

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基礎自治体(ディモス)

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メガラ市Δήμος Μεγαρέων)は、西アッティカ県に属する基礎自治体ディモス)の一つである。

現在のメガラ市は、カリクラティス改革(2011年1月施行)にともない、旧メガラ市とネア・ペラモス市が合併して発足した。旧自治体は、新自治体を構成する行政区(ディモティキ・エノティタ)となっている。なお、カリクラティス改革以前の旧メガラ市は、アッティカ地方最大の面積を持つ自治体であった。

下表の番号は、下に掲げた「旧自治体」地図の番号に相当する。面積の単位はkm²、人口は2001年国勢調査時点。

旧自治体名 綴り 政庁所在地 面積 人口
8 メガラ Μέγαρα メガラ 322.2 28,195
9 ネア・ペラモス英語版 Νέα Πέραμος ネア・ペラモス 7.9 7,480

交通

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アテネとペロポネソス半島を結ぶ交通路が市内を通過している。

文化・観光

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ギリシア神話の中のメガラ

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ギリシャ神話によれば、アテーナイ王パンディーオーンは、内乱が発生した際にメガラーに亡命した。メガラー王ピュラースの娘ピュリアーと結婚し、のちにピュラースから国を譲られてメガラーを支配した。パンディーオンはメガラーで没したが、その後パンディーオンの4人の息子たち(アイゲウスパラースニーソス英語版リュコス)がアテーナイを奪回し、アッティカを4人で分割した。メガラーを支配することになったのはニーソス(ニューソスとも)である。ニーソスには3人の娘がおり、長女エウリュノメーは海神ポセイドーンとの間に英雄ベレロポーンを生んだとされる。次女イーピノエーはメガレウス (Megareus of Onchestusの妻となった。

クレータの王ミーノースがアテーナイとメガラに戦争を仕掛けたとき、ニーソスの末娘のスキュラは、敵将のミーノース王に恋をし、父と祖国を裏切ったものの、その行為を嫌悪したミーノースは彼女を拒絶したと伝えられている。

人物

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脚注

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外部リンク

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