メイフラワー (灯台補給船)
メイフラワー USLHT Mayflower | |
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基本情報 | |
建造所 |
バス鉄工所 アメリカ合衆国 メイン州バス |
運用者 |
アメリカ合衆国灯台委員会 (1910年 - 1939年、灯台局) |
艦種 | 灯台補給船 (1897–1898; 1898–1917; 1919–1939) |
建造費 | USドル $74,872 |
艦歴 | |
竣工 | 1896年 |
就役 | |
退役 |
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要目 | |
排水量 | 630トン (1897) |
長さ | 164 ft (50 m) |
幅 | 30 ft (9.1 m) |
吃水 | 18 ft 1 in (5.51 m) (1897) |
推進 |
Almy 石炭燃料水管ボイラー 2基 325馬力 (242kW) 往復動機関 2基 シャフト 2本 |
最大速力 | 9.5 kn (10.9 mph; 17.6 km/h) |
巡航速力 | 8.5 kn (9.8 mph; 15.7 km/h) |
乗員 | 29名 (1897) |
スワニー USS Swannee | |
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基本情報 | |
運用者 | アメリカ海軍 |
艦種 | 補助巡洋艦 |
艦歴 | |
就役 | 1898年4月27日 |
退役 | 1898年12月 |
最期 | 灯台委員会へ返還移管 |
要目 |
メイフラワー USS Mayflower | |
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基本情報 | |
運用者 | アメリカ海軍 |
艦種 | 哨戒艦艇 |
艦歴 | |
就役 | 1917年5月10日 |
退役 | 1919年7月1日 |
最期 | 灯台局へ返還移管 |
要目 | |
排水量 | 572トン (1919) |
吃水 | 12 ft 0 in (3.66 m) (1919) |
メイフラワー USCGC Mayflower ハイドレインジャ USCGC Hydrangea (WAGL-236) | |
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基本情報 | |
運用者 | アメリカ合衆国沿岸警備隊 |
艦種 | 灯台補給船 |
艦歴 | |
就役 | |
退役 |
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改名 | 1943年:ハイドレインジャへ改名 |
要目 | |
排水量 | 821トン (1945) |
吃水 | 9 ft 0 in (2.74 m) (1945) |
航続距離 | 1,000海里/1,610km (1945) |
乗員 | 45名 (1945) |
アメリカ海軍の艦船としてスワニー (USS Suwannee) と命名された2艦目で、メイフラワー (USS Mayflower) と命名された3艦目の艦船は、もともとアメリカ合衆国灯台委員会、後のアメリカ合衆国灯台局の灯台補給船であったが、米西戦争中の1898年には補助巡洋艦(仮装巡洋艦)として、第一次世界大戦中の1917年から1919年には哨戒艦艇として、アメリカ合衆国海軍に貸与された。灯台委員会/灯台局管轄下のメイフラワー (USLHT Mayflower) としては、1897年から1898年にかけて、中断を挟んで1898年から1917年にかけて、また1919年から1939年まで就役し、その後はアメリカ沿岸警備隊管轄下のメイフラワー (USCGC Mayflower (WAGL-236)) として1939年と、中断を挟んで1940年から1943年にも就役し、その後はハイドレインジャ (USCGC Hydrangea (WAGL-236))として1943年から1945年まで就役していた。
建造と就役
[編集]この艦は、アメリカ合衆国灯台委員会の発注により、1897年にメイン州バスのバス鉄工所が建造した。灯台委員会は1897年11月にメイフラワー (USLHT Mayflower) としてこの艦を就役させた[1]。
米西戦争
[編集]米西戦争が1898年4月に勃発すると、メイフラワーは4月27日にアメリカ合衆国海軍に移管され、補助巡洋艦として用いられることになった。既に同名の哨戒ヨット、メイフラワーが民間から取得されて就役していたため、混同を避けるために艦名はスワニー (USS Suwannee) と改められた。戦時中のスワニーは、短期間ながら、フロリダ州キーウェストの海軍基地司令官であったジョージ・C・レメイの旗艦としても使われた。アメリカ合衆国海軍省は、この艦が戦時に「顕著な貢献 (conspicuous service)」をしたとして言及している。米西戦争は1898年8月に終わり、この艦も、12月には元の灯台補給船としての業務に戻った[2][1][3]。
1899年 – 1917年
[編集]合衆国灯台委員会は船名をメイフラワー (USLHT Mayflower) に戻し、マサチューセッツ州ボストンに拠点を置く第2灯台区 (the 2nd Lighthouse District) における航行を支援する灯台への補給の任務に宛てた。1910年には、改組により、灯台委員会に代えて灯台局が設置された[3]。
第一次世界大戦
[編集]1917年4月に、アメリカ合衆国が世界大戦に参戦すると、メイフラワーは再び海軍に移管され、1917年5月10日に哨戒艦として就役した。アメリカ合衆国東海岸の沖合の大西洋の哨戒にあたった。1918年11月に戦争が終結すると、メイフラワーは、1919年7月1日に大統領令によって灯台局の所轄に戻された[1]。
1919年 – 1939年
[編集]灯台局の所轄に戻ったメイフラワーは、再び第2灯台区の業務に就いた。その後、1924年に第5灯台区に転属となった[3]。1939年7月1日、灯台局はアメリカ沿岸警備隊に統合され、同年12月にメイフラワーは退役となり、マサチューセッツ州ボストンの海事訓練局 (Maritime Training Service) へ移管された[3][1]。
第二次世界大戦
[編集]ヨーロッパで第二次世界大戦が勃発すると、補給艦の調達が急務となり、沿岸警備隊はいったん退役させていたメイフラワーを1940年に現役復帰させ、メイフラワー (USCGC Mayflower (WAGL-236)) としてノーフォークを母港として運用した。戦時下の沿岸警備隊は海軍の指揮下で動いていたが、同様に海軍に復帰して照会艦艇として使用されていたメイフラワーとの艦名の重複を避ける必要が再び生じ、1943年8月15日にハイドレインジャ (USCGC Hydrangea (WAGL-236))と改称された[1][3]。
最後
[編集]ハイドレインジャは1945年10月8日に退役となり、廃棄処分のためアメリカ合衆国海事局に移管された。その後、払い下げられた[1][3]。
脚注
[編集]外部リンク
[編集]- この記事はアメリカ合衆国政府の著作物であるDictionary of American Naval Fighting Shipsに由来する文章を含んでいます。 記事はここで閲覧できます。
- NavSource Online: Section Patrol Craft Photo Archive: USCGC Hydrangea (WAGL 236), ex-USCGC Mayflower, ex-USS Suwannee, ex-USLHS Mayflower
- United States Coast Guard Historian's Office: Mayflower, 1897; Later USS Suwanee; Hydrangea
- Hamersly, Lewis Randolph. The Records of Living Officers of the U.S. Navy and Marine Corps, Seventh Edition, New York: L. R. Hamersly Company, 1902.