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メアリー・ウォートリー・モンタギュー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
メアリー・ウォートリー・モンタギュー
(画)チャールズ・ジャーヴァス

メアリー・ウォートリー・モンタギュー(Mary Wortley Montagu、1689年5月15日 - 1762年8月21日)はイギリスの貴族階級の女性、著述家である。外交官の妻として、トルコに住み、トルコの社会についての記録を『トルコ書簡集』(Letters from Turkey)の形で残した。

略歴

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ロンドンで、有力な政治家、初代キングストン=アポン=ハル公爵エヴリン・ピアポントの長女として生まれた[1] · [2]。弟が教育を受けているのを身近に接することで、当時の女性としては、受けにくかった教育を受けることになり、10代半ばには詩を書き、上流社会の教養ある婦人のサークルのメンバーになった[3]

1712年に父親の反対を押し切って、初代サンドウィッチ伯爵の孫のエドワード・ウォートリー・モンタギューと結婚した[4]

1716年に夫がトルコ大使に任命されると、子供の病気の転地のためにも有益であると考えて、夫に同行してトルコに移ることに決めた。トルコ大使が家族と赴任することは17世紀になってからは珍しくなかった[5]。1717年に夫は大使を解任されるが、メアリーは18ヶ月の間、トルコに滞在した。弟を天然痘で失ったこともあって、トルコで行われていた人痘の接種による予防に興味を持ち、イギリスに戻った後、これを広める努力をした[4][6]。1721年に医師チャールズ・メイトランドに頼み、娘に人痘を接種させ、1722年に国王の孫娘にも人痘が接種された。より安全なエドワード・ジェンナーによる牛痘による種痘が行われるようになるのは1790年代になってからである。

その後、夫との夫婦関係はうまくいかなくなり、お互いにほぼ無関心に暮らすようになった。1738年にイタリアの著述家、フランチェスコ・アルガロッティと知り合い、翌年、イギリスを出てイタリアで暮らすようになった[7]。アルガロッティとの恋愛が終わったあとは、フランスのアヴィニョンで暮らした。イギリスには22年間戻らなかったが、家にはグランドツアーの若者や多くの客を招いた。1761年に夫が亡くなった後、1762年にロンドンに戻ったが、程なくして癌で没した。

同名の娘、メアリーは、1762年にイギリスの首相となる第3代ビュート伯爵ジョン・ステュアートと1736年に結婚した。

1739年に高貴な女性ソフィア(Sophia, a person of quality)という筆名で、作者不詳でモンタギューの著作は出版され、1837年に孫娘のルイザ・ステュアートによってLetters and Worksが Biographical Anecdotes of Lady M. W. Montaguという序文とともに出版された。

モンターギュ夫人と有名な人物との関わり

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アレキサンダー・ポープ

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「モンターギュ夫人に愛を告白し笑われるポープ」
(画)ウィリアム・フリス

詩人のアレキサンダー・ポープとは、トルコへ出発する以前に出会い、トルコ滞在中は、お互いに手紙のやり取りをしている。ポープの手紙にはモンターギュ夫人の機知と優雅さに魅了されている様に見えるが、モンターギュ夫人の返信は熱意のないものであった[8]。イギリス帰国後は手紙のやり取りは稀になり、疎遠になったことを示している[8] 。1728年から書かれたポープの著作、『愚物列伝』ではモンターギュ夫人を攻撃する記述が見られる[8]

著作

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Letters of Lady Mary Wortley Montague, 1800

初出の出版物

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  • 1719: The genuine copy of a letter written from Constantinople by an English lady, who was lately in Turkey, and who is no less distinguish’d by her wit than her quality to a Venetian nobleman.
  • 1733: Verses address’d to the Imitator of the First Satire of the Second Book of Horace.
  • 1734; The Dean’s Provocation for writing the Lady’s Dressing-Room. A poem.
  • 1747: Six Town Eclogues. With some other poems.
  • 1763: Lettres de Mde Wortley Montague, ecrites pendant ses voyages en Europe, en Asie & en Afrique &c. Übersetzt von Jean Brunet. Berlin.
  • 1763: Letters of the Right Honourable Lady M--y W---y M----e written, during her travels in Europe, Asia and Africa, to persons of distinction, men of letters, etc. 4 Bde, London 1763–1767
  • 1767: An Additional Volume to the Letters of the Right Honourable Lady M---y W----y M----e. Dublin
  • 1768: The Poetical Works of the Right Honourable Lady M-y W-y M-e. London

後年の編集によるもの

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  • The Complete Letters of Lady Mary Wortley Montagu. Hg. v. Robert Halsband. 3 Bände Oxford 1965.
  • The Letters and Works of Lady Mary Wortley Montagu. Hg. v. Lord Wharncliffe. 3 Bände R. Bentley, London, 1837.

脚注

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  1. ^ The History and Antiquities of Windsor, Rev. Joseph Pote, p. 315 (1749)
  2. ^ www.royalcollection.org.uk
  3. ^ Eric Rothstein, Restoration and Eighteenth-Century Poetry 1660-1780, New York, Routledge, 2014, 256 p., ISBN 978-1-31758-918-1, p. 84.
  4. ^ a b ヌルミネン 2016, pp. 441–442.
  5. ^ Geoffrey R. Berridge, British Diplomacy in Turkey, 1583 to the present, Leyde, Martinus Nijhoff, 2009, ISBN 978-9-04742-983-8, p. 37 lire en ligne
  6. ^ Dictionnaire de l'Empire ottoman Fayard 2015 p. 744
  7. ^ Roger Lonsdale, Roger H. Lonsdale, Eighteenth Century Women Poets: An Oxford Anthology, Oxford University Press (1990), p. 55
  8. ^ a b c Grundy, Isobel.Montagu, Lady Mary Wortley Oxford Dictionary of National Biography, Oxford University Press, 2004.

参考文献

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  • マルヨ・T・ヌルミネン 著、日暮雅通 訳『才女の歴史 古代から啓蒙時代までの諸学のミューズたち』東洋書林、2016年。 ISBN 9784887218239

外部リンク

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