ムハンマド・ハニーフ・アトマル
表示
ムハンマド・ハニーフ・アトマル محمد حنيف اتمر | |
---|---|
2016年8月、テヘランにて | |
暫定外務大臣 | |
任期 2020年4月4日 – 2021年8月15日 | |
大統領 | アシュラフ・ガニー |
前任者 | ハルーン・チャクハンスリー |
国家安全保障顧問 | |
任期 2014年11月1日 – 2018年8月25日 | |
大統領 | アシュラフ・ガニー |
前任者 | シャイダ・モハマド・アブダリ |
後任者 | ハムドゥッラー・モヒブ |
内務大臣 | |
任期 2008年10月11日 – 2010年6月6日 | |
大統領 | ハーミド・カルザイ |
前任者 | ザラール・アフマド・オスマニ |
後任者 | ビスミッラー・ハーン・モハンマディ |
教育大臣 | |
任期 2006年5月2日 – 2008年10月1日 | |
大統領 | ハーミド・カルザイ |
農村復興開発大臣 | |
任期 2002年 – 2008年 | |
大統領 | ハーミド・カルザイ |
個人情報 | |
生誕 | 1968年9月10日(56歳) アフガニスタン王国、ラグマーン州 |
国籍 | AFG |
政党 | 真実と正義 (2011-) |
ムハンマド・ハニーフ・アトマル(パシュトー語: محمد حنيف اتمر、英語: Mohammad Hanif Atmar、1968年9月10日 - )は、アフガニスタンの政治家。内務大臣、教育大臣、外務大臣などを歴任した。パシュトゥーン人。
経歴
[編集]ラグマーン州出身。ムハンマド・ハニーフ・アトマル・ムハンマドの息子。
- 1993年~1995年 - アフガニスタン援助局の在アフガニスタン・パキスタン人道プログラム担当顧問
- 1995年~2001年 - ノルウェー・アフガニスタン委員会のプログラム調整官
- 2001年~2004年 - 国際アフガニスタン援助委員会副事務局長
- 2004年12月23日~2006年4月 - 農村開発相
- 2006年5月2日~2008年10月11日 - 中等教育相
- 2008年10月11日に内務相就任、2010年1月2日に再任。同年6月6日、和平会議時のテロ行為の責任を問われ解任。
- 2020年4月4日、アシュラフ・ガニー大統領より暫定外務大臣に任命され、正式な外務大臣に指名された[1]。
- 2021年8月15日、ターリバーン攻勢によるカーブル陥落でガニー政権が事実上崩壊[2]、トルコに亡命[3]。
パーソナル
[編集]イギリスの大学で農業分野の修士号、ヨーク大学で国際関係分野の学士号を取得。情報技術分野の証書も有する。英語とウルドゥー語を話す。
著書
[編集]- 「発展途上国における非政府組織の発展」(イギリス)
- 「現実へのレトリックから」(イギリス)
- 「アフガニスタンにおける人道援助、戦争と平和:何を学ぶべきか?」
- 「アフガニスタンにおける政治及び人道援助とアフガニスタン国民に対するその結果」
- 「アフガニスタン、あるいはアフガニスタンにおける未承認の戦争?」
出典
[編集]- ^ “Afghan president picks former foe as foreign minister”. アナドル通信社. (2020年4月5日) 2020年4月6日閲覧。
- ^ “アフガン政権が事実上崩壊 テロとの戦い振り出しに”. 日本経済新聞. (2021年8月15日) 2022年5月19日閲覧。
- ^ “Turkey helps senior Afghan officials leave country”. Hürriyet Daily News. (2021年8月20日) 2022年5月19日閲覧。
関連項目
[編集]