ムハンマド・アリー・モスク
ムハンマド・アリー・モスク مسجد محمد علي Muhammad Ali Mosque | |
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東(南東)側の正面 | |
基本情報 | |
所在地 | エジプト、カイロ、シタデル |
座標 | 北緯30度01分43秒 東経31度15分36秒 / 北緯30.02861度 東経31.26000度座標: 北緯30度01分43秒 東経31度15分36秒 / 北緯30.02861度 東経31.26000度 |
宗教 | イスラム教 |
建設 | |
建築家 |
ユースフ・ボシュナ (ユスフ・ブシュナク) |
形式 | モスク |
様式 | トルコ(オスマン建築) |
創設者 | ムハンマド・アリー・パシャ |
着工 | (1828年-)1830年 |
完成 | 1848年(-1857年) |
建築物 | |
収容人数 | 6,500人以上[1] |
最長部(最高) | 52メートル (171 ft) |
ドーム数 | 大ドーム1基・小ドーム4基・半ドーム5基 |
ドーム高(外側) | 48メートル (157 ft) |
ドーム直径(外側) |
21メートル (69 ft) 大(中央)ドーム |
ミナレット数 | 2基 |
ミナレット高 | 84メートル (276 ft) |
資材 | |
ユネスコ世界遺産 | |
所属 | カイロ歴史地区(英: Historic Cairo)[2] |
登録区分 | 文化遺産: (1), (5), (6) |
参照 | 89 |
登録 | 1979年(第3回委員会) |
面積 | 523.66ヘクタール (5.2 km2) |
ムハンマド・アリー・モスク(アラビア語: مسجد محمد علي〈Masdschid Muhamad ʿAlī〉、英語: Muhammad Ali Mosque〈Mosque of Muhammad Ali〉[3])は、エジプトの首都カイロのシタデル(英: Cairo Citadel)に、およそ1830年から[4]1848年にかけてムハンマド・アリー・パシャ(在位1805-1848年[5][6])の指示のもとに建設されたモスクである。内壁面などにアラバスター(雪花石膏)が使用されていることから「アラバスター・モスク」とも称される[7][8]。
シタデル(城塞)の西(南[4])の一角にあるこのモスクは[9]、19世紀に建てられたトルコ(オスマン建築[10])様式のモスクであり[11]、エジプトで最も高い2基のミナレット(尖塔)を備える[8]。カイロのランドマークであるシタデル(サラディンの城塞、アラビア語: قلعة صلاح الدين〈Qalaʿat Salāḥ ad-Dīn〉、英語: Citadel of Saladin)に位置するムハンマド・アリー・モスクは[12][13]、歴史的都市カイロの主要な観光名所の1つである[14]。
歴史
[編集]ムハンマド・アリー・モスクは、12世紀にアイユーブ朝(1171-1250年[15])を興したサラーフッディーン(サラディン、在位1171[16]/1172-1193年)にさかのぼるカイロのシタデル上にあり[17]、マムルーク朝(1250-1517年[15])からのハレムなどの構造物の廃墟があった南側の場所に建設された[4]。工事は1828年末頃より始められたが[18][19]、正式な建設事業の着工は1830年とされる[20]。
モスクは、1848年、ムハンマド・アリーがエジプト(オスマン帝国領エジプト)の総督(パシャ[21])を退き、短命のイブラーヒーム・パシャ(在位1848年)[22]に次いで即位したアッバース・パシャ(アッバース・ヒルミー1世、在位1848-1854年[11])により完成したとされる[20]。アッバース・パシャが1848年のうちに即位すると、モスクの装飾作業の完了を命じるとともに、予定されたムハンマド・アリーの霊廟に大理石造りの構造物と銅のマクスーラを追加している[23]。
モスクはほぼ完成したものの、1849年にムハンマド・アリーが亡くなった後も作業は継続され[18]、サイード・パシャ(ムハンマド・サイード、在位1854-1863年[24])の治世となる1857年になって完了した[25]。モスクに認められる碑文には、アッバース・パシャならびにサイード・パシャによる建造のための寄進(ワクフ)が記されている[18]。
ムハンマド・アリー・パシャの遺体は、1857年、王室墓地[1](アラビア語: حوش الباشا〈Hawsh al-Basha[26]〉Hosh al-Pasha[27])からモスクに移され、中庭の南西の一角に備えられた白大理石[8]3段造りの墓[7]に葬られた。
その後、1899年、モスクに亀裂の兆しが認められ、不十分ながら修繕された。しかし、引き続きモスクの状態の悪化が見られたため、1931年、エジプト王フアード1世(在位1922-1936年[28])によって徹底した修復を図るよう命じられると、1939年[7]、ファールーク1世(在位1936[29]/1937-1952年[30])のもと、ようやく改築事業が完了した[23]。
構造
[編集]ムハンマド・アリーは、オスマン帝国に従属をよそに、これまでのマムルークの建築様式を踏襲することなく、支配者であったオスマンの建築の様式によって、自身とエジプトの威勢を誇る国家的モスクを建設することを選択した[31]。中央ドームを複数のドームにより取り囲むこの様式の適用は、2基のミナレットの採用と相まって、スルタンの権威のうえに築かれるモスクの特徴を備えるもので、事実上、エジプトの独立を示す反抗宣言であった[32][12]。
建築家は、イスタンブールからのユースフ・ボシュナ[4](ユスフ・ブシュナク[33]、Yusuf Boshnak[34]〈Bushnaq[20]〉[35]) の名が認められる。モスクはイスタンブールにあるいくつかのモスクを手本として、東ローマ帝国(ビザンティン帝国)時代にさかのぼるアヤソフィアをはじめ[4]、オスマン帝国のバヤズィト・モスク、スレイマニエ・モスク、それにスルタンアフメト・モスクなど[23]、オスマン(ビザンツ=オスマン[4])様式の建築物に倣って構築された[36]。
モスクは、中央の大ドームを四方の半ドームと四隅の小ドームによって取り囲むように構築されている。また、ミフラーブ(壁龕)のある東(南東[37])側の突出部も半ドームに覆われる[38]。中央ドームは、直径21メートル[23][25]、高さは48メートル[39](52m[23][25]) である。
礼拝室の内面は、一辺41メートルの正方形で[23][25]、礼拝室のアーチを4本の角形の躯体柱(ピア、Pier)が支える[10]。外壁などの資材は石灰岩であるが[10]、内壁面と支柱は、高さ11メートル (11.3m[38]) まで、エジプト産[23]白大理石[10]ないし上エジプトのベニ・スエフ産[7]アラバスターで覆われている[23]。上方のドームは、黒色に金彩色の浮き彫り(レリーフ)の意匠により装飾されている[10]。
モスクの西側には、同じくオスマン様式の[40]2基の細いミナレットがあり、高さは84メートル[41](82m[25]) で、エジプトで最も高く[8]、世界でも有数のミナレットである[41]。
モスク西側にある中庭は、長径54メートル、幅53メートル (52m[25]) で[13]、泉亭(水場)として備えられた八角形のキオスクが中央に配置されている[9]。四方はアーチを支える大理石の列柱(コロネード)回廊により囲まれ、回廊の上面部は小さなドームに覆われる[23][25]。
回廊の西(北西)面中央の上部には、フランス王ルイ・フィリップ(在位1830-1848年)よりムハンマド・アリーに贈られた時計塔(英: Cairo Citadel Clock)が現存する。時計は1845年(1846年[42])に寄贈されたが[19][32]、モスクが未完であったため、シュブラのムハンマド・アリー宮殿(英: Mohammad Ali Palace)に保管された後、サイード・パシャの時代の1855年(1856年[42])になってムハンマド・アリー・モスクに設置された。この時計は、現在コンコルド広場にあるルクソール神殿のオベリスクの返礼と一般にいわれるが[42]、異論も唱えられる[43]。
脚注
[編集]- ^ a b al-Asad (1992), p. 50
- ^ “Mosque of Muhammad Ali” (英語). Archiqoo. 2022年8月27日閲覧。
- ^ “Mosque of Muhammad Ali”. Mapcarta. 2022年8月26日閲覧。
- ^ a b c d e f 牟田口 (1992)、265頁
- ^ 加藤博『ムハンマド・アリー - 近代エジプトを築いた開明的君主』山川出版社〈世界史リブレット人 67〉、2013年、1・17・21・89頁。ISBN 978-4-634-35067-0。
- ^ “Muhammad Ali Pasha” (英語). Presidency of the Arab Republic of Egypt (2020年). 2022年8月26日閲覧。
- ^ a b c d 牟田口 (1992)、267頁
- ^ a b c d “Muhammad Ali Mosque” (英語). Ministry of Tourism and Antiquities (2019年). 2022年8月26日閲覧。
- ^ a b al-Asad (1992), p. 39
- ^ a b c d e 深見奈緖子『世界の美しいモスク』エクスナレッジ、2016年、78-79頁。ISBN 978-4-7678-2166-5。
- ^ a b 山口 (2011)、111頁
- ^ a b al-Asad (1992), p. 51
- ^ a b Zain, Mohamed (2017年2月26日). “Muhammad Ali's mosque, a Cairo landmark and a piece of art”. The Arab Weekly (Al Arab Publishing House): p. 21 2022年8月26日閲覧。
- ^ “カイロ歴史地区”. 世界遺産オンラインガイド (2021年). 2022年8月26日閲覧。
- ^ a b 牟田口義郎『物語 中東の歴史 - オリエント五〇〇〇年の光芒』中央公論新社〈中公新書〉、2001年、124頁。ISBN 4-12-101594-0。
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- ^ Bernard O'Kane, ed (2009). “The Citadel of Cairo in the Ayyubid Period and the Development of Thirteenth-century Fortifications: A Reconsideration”. Creswell Photographs Re-Examined: New Perspectives on Islamic Architecture. The American University in Cairo Press. pp. 1, 6. doi:10.5743/cairo/9789774162442.003.0001. ISBN 978-977-416-244-2 2022年8月26日閲覧。
- ^ a b c al-Asad (1992), p. 41
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- ^ a b c “A Virtual Tour through The Muhammad Ali Mosque” (英語). Ministry of Tourism and Antiquities (2019年). 2022年8月26日閲覧。
- ^ フィリップ・K・ヒッティ 著、岩永博 訳『アラブの歴史 (下)』講談社〈講談社学術文庫〉、1983年(原著1937年)、728頁。ISBN 4-06-158592-4。
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- ^ “PM Rama visits Mosque and tomb of Muhammad Ali in Egypt”. Kryeministria. Newsroom. Albanian Government (2021年10月23日). 2022年8月26日閲覧。
- ^ al-Asad (1992), pp. 48-49
- ^ al-Asad (1992), p. 43
- ^ El-Torky (2018), p. 4
- ^ a b “La Grande Mosquée de Muhammad `Alî 1246-1265 A.H. (1830-1848 E.C.)” (フランス語). Islamophile. 2022年8月26日閲覧。
- ^ El-Torky (2018), p. 6
- ^ al-Asad (1992), p. 42
- ^ a b al-Asad (1992), p. 45
- ^ a b c Ayyad, Ibrahim (2021年10月6日). “Egypt's first ticking clock ticks again”. Al-Monitor 2022年8月26日閲覧。
- ^ Marie, Mustafa (2021年1月5日). “What is the truth behind the Clock Tower of Mohammad Ali Mosque in Cairo's ancient Citadel?”. Egypt Today 2022年8月26日閲覧。
参考文献
[編集]- al-Asad, Mohammad (1992). “The Mosque of Muhammad ʿAli in Cairo” (PDF). Muqarnas (E. J. Brill) 9: 39-55. doi:10.2307/1523134 2022年8月21日閲覧。.
- El-Torky, Assem A. (2018-11). “Political symbolism in Mohammad Ali's mosque: Embodying political ideology in architecture” (PDF). Alexandria Engineering Journal (Elsevier) 57 (4): 1-8. doi:10.1016/j.aej.2018.11.002 2022年8月21日閲覧。.
- 岩波書店編集部 編『岩波 西洋人名辞典』(増補版)岩波書店、1981年(原著1956年)。
- 牟田口義郎『カイロ』文藝春秋〈世界の都市の物語 10〉、1992年。ISBN 4-16-509620-2。
- 山口直彦『新版 エジプト近現代史 - ムハンマド・アリー朝成立からムバーラク政権崩壊まで』明石書店〈世界歴史叢書〉、2011年(原著2006年)。ISBN 978-4-7503-3470-7。