ムスタンジド
表示
ムスタンジド يوسف المستنجد بالله | |
---|---|
カリフ(アミール・アル=ムウミニーン) | |
在位 | 1160年 - 1170年 |
出生 |
1124年 |
死去 |
1170年12月20日 |
子女 | ムスタディー |
家名 | アッバース家 |
王朝 | アッバース朝 |
父親 | ムクタフィー |
宗教 | イスラム教スンナ派 |
ムスタンジド(1124年 - 1170年12月20日)は、アッバース朝の第32代カリフ(在位:1160年 - 1170年)。
生涯
[編集]第31代カリフ・ムクタフィーの子。1160年、父の死で跡を継いだ。税の軽減と悪法の取り消しを行ったが、私領地の特権を廃してハラージュ地に戻したために、国内のシーア派から恨みを買った。1170年に難病にかかると、重臣たちのクーデターによって風呂場で絞殺された。
ムスタンジドの時代に2人の人間が宰相(ワズィール)を務めた。治世の前半は父の時代からのワズィール、イブン・フバイラに国政について諮り、父の代からの変わらぬ忠誠を称えた[1]。1165年にフバイラが没した後、ワーシトの監察官から宰相に抜擢したイブン・アルバラディーを重用した。政務の権限を委ねられたアルバラディーは強大な権力を持ったが、次代のムスタディーの即位に伴い処刑された。
脚注
[編集]- ^ イブン・アッティクタカー『アルファフリー―イスラームの君主論と諸王朝史』2巻(池田修、岡本久美子訳)、243-244頁
関連文献
[編集]- 『岩波イスラーム辞典』(岩波書店、2002年2月) - アッバース朝の歴代カリフの系図が収録されている
参考文献
[編集]
|
|
|