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ムスタファー・アブーシャーグール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ムスタファー・アブーシャーグール
مصطفى ابوشاقور غيت ابوشاقور
生年月日 (1951-02-15) 1951年2月15日(73歳)
出生地 トリポリ
出身校 トリポリ大学
カリフォルニア工科大学
所属政党 無所属

リビアの旗 リビア暫定副首相
内閣 アル=キーブ内閣
在任期間 2011年11月22日 - 2012年11月14日
国民議会議長 ムハンマド・ユースフ・エル=マガリエフ
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ムスタファー・アブーシャーグールアラビア語: مصطفى ابوشاقور غيت ابوشاقور‎、1951年2月15日 - )は、リビア政治家。2011年から2012年まで同国副首相を務めた。2012年9月12日に首相に指名されたが、組閣に失敗したため解任され副首相に戻った。

概要

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ガルヤーン出身[1]トリポリ大学で電子工学を学び、卒業後カリフォルニア工科大学へ。1977年に修士号、1984年には博士号を取得。

2011年のリビア内戦を契機にリビアへ帰国。リビア国民評議会に参加。

アブドッラヒーム・アル=キーブ内閣の下で副首相に就任。2012年、国民議会選挙後の首相選挙において96票を獲得、94票だった元首相のマフムード・ジブリールを抑え選出された。しかし地域間の対立などから組閣作業は難航を極め、29人からなる組閣人事案を議会に提出したが否決。改めて10人から構成される「危機管理内閣」を提出したが再び否決された。組閣期限の10月7日までに承認を得られなかったため、不信任案を可決され首相を解任された[2][3]。アル・キーブ政権そのものは信任されたため、アブーシャーグールは副首相にとどまった[4]。その後、改めて首相にアリー・ゼイダーンが指名され、組閣人事が10月31日に議会によって承認され、11月14日に政権が発足したことに伴い、副首相を退任した。後任としてサーディク・アブドゥルカリーム・アブドゥルラフマーンが第一副首相に就任した[5][6]

出典

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  1. ^ النائب الاول لرئيس الوزراء”. الحكومة الليبية الانتقالي. 2012年11月4日閲覧。
  2. ^ “政治勢力対立・地域エゴ…リビア首相、組閣失敗”. 読売新聞. (2012年10月8日). http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20121008-OYT1T00672.htm 2012年10月8日閲覧。 
  3. ^ “Libyan parliament votes to dismiss PM” (英語). Al Jazeera English (アルジャジーラ). (2012年10月7日). http://www.aljazeera.com/news/africa/2012/10/2012107115527139773.html 2012年10月8日閲覧。 
  4. ^ “リビア議会、新内閣の閣僚名簿を否決 首相解任”. CNN.co.jp (CNN). (2012年10月8日). https://www.cnn.co.jp/world/35022766.html 2012年10月8日閲覧。 
  5. ^ “Zeidan presents government to Congress” (英語). Libya Herald. (2012年10月30日). http://www.libyaherald.com/2012/10/30/zidan-presents-government-to-congress/ 2012年11月1日閲覧。 
  6. ^ “Zeidan government sworn in” (英語). リビア・ヘラルド. (2012年11月14日). http://www.libyaherald.com/2012/11/14/zeidan-government-sworn-in/ 2012年11月23日閲覧。 


公職
先代
アリー・タルフーニ
リビアの旗 リビア暫定副首相
2011 - 2012
次代
サーディク・アブドゥルラフマーン
(第一副首相)