ミールザー・ファトフル・ムルク
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ミールザー・ファトフル・ムルク Mirza Fath-ul Mulk | |
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ムガル帝国皇子 | |
ミールザー・ファトフル・ムルク | |
全名 | ミールザー・ムハンマド・スルターン・シャー |
出生 |
1816年 デリー、デリー城 |
死去 |
1856年7月10日 デリー、デリー城 |
子女 | ミールザー・アブー・バフト |
父親 | バハードゥル・シャー2世 |
母親 | ラヒーム・バフシュ・バーイー |
宗教 | イスラーム教(スンナ派) |
ミールザー・ファトフル・ムルク(Mirza Fath-ul Mulk, 1816年 - 1856年7月10日)は、北インド、ムガル帝国の皇帝バハードゥル・シャー2世の三男。グラーム・ファフルッディーン(Ghulam Fakhr ud-din)、ミールザー・ファフルー・サーヒブ(Mirza Fakhru Sahib)とも呼ばれる。
生涯
[編集]1816年、ムガル帝国の皇帝バハードゥル・シャー2世とその側室ラヒーム・バフシー・バーイーとの間に生まれた[1]。
1849年2月8日、兄ミールザー・ダーラー・バフト皇子が死亡したことにより皇太子位を継承し、1852年1月23日にはイギリス東インド会社にも認められた[1]。
1856年7月10日、コレラに罹患したことが原因で死亡した[1]。