コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ミンスク県 (ポーランド・リトアニア共和国)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ポーランド・リトアニア共和国内のミンスク県の位置(1635年)
県章

ミンスク県 / ミンスカス県ポーランド語: Województwo mińskie / リトアニア語: Palatinatus Minscensis)は、ミンスクを行政中心地とする、リトアニア大公国、のちにポーランド・リトアニア共和国の県である。1566年にリトアニア大公国の行政単位として成立し、1569年のルブリン合同後もポーランド・リトアニア共和国の行政区として存続するが、1793年の第2次ポーランド分割までに帝政ロシアに割譲されて消滅した。

  • (注釈)本項の地名はリトアニア語・ポーランド語を用いているが、現在はベラルーシ・ウクライナ・ロシアに所属し、それぞれの言語での名称が用いられる地名が多数ある。詳しくは注釈の「関連地名対応表」を参照されたし。

歴史

[編集]

本県は1566年のリトアニア大公国の行政改編によって区分された県であり、成立当初は、ミンスカス(ミンスク)郡(ru)、Rečyca郡(ru)の二郡から成っていた[注 1]。1569年のルブリン合同でポーランド王国とリトアニア大公国が連合王国となると、ポーランド領のキユフ県からMozyrz郡(ru)が編入された。

ポーランド・リトアニア共和国の成立後、ミンスク県は南西でBrześć県(ru)、西はノヴォグルデク県、北西はWilno県(ru)、北はポウォツク県、北東はヴィテプスク県、東はムシチスワフ県と接した。また、南東から南にかけてはキユフ県と接しており、17世紀の一時期はスモレンスク県、Czernihów県(ru)が設置されて、両県と接した期間があった。

1772年の第1次ポーランド分割によってRečyca郡が、第2次ポーランド分割によって残る全県が帝政ロシア領となり、ポーランド・リトアニア共和国のミンスク県は消滅した。

行政の長

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 郡はロシア語: Поветからの訳出[1]であり、ポーランド語: powiat / 郡 (ポーランド)に対応する。
関連地名対応表
ポーランド語 リトアニア語 ベラルーシ語 ウクライナ語 ロシア語
ミンスク ミンスカス ミンスク
Rečyca レチツァ
Mozyrz マズィル
キユフ キイウ (キエフ)
Brześć ブレスト
Nowogródek ナヴァフルダク
Wilno ヴィリニュス
ポウォツク ポラツク
Witebsk ヴィツェプスク
Mścisław ムスツィスラウ
スモレンスク スモレンスク
Czernihów チェルニーヒウ

出典

[編集]
  1. ^ 井桁貞義編 『コンサイス露和辞典』 三省堂、2009年、P721

参考文献

[編集]
  • Wolff J. Senatorowie i dygnitarze Wielkiego Księstwa Litewskiego 1386—1795. — Kraków, 1885. — S. 24—28.