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ミレヤ・モスコソ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ミレヤ・モスコソ
Mireya Moscoso

(2012年撮影)

任期 1999年9月1日2004年9月1日
副大統領 アルトゥーロ・ヴァラリーノ(第1)
ドミナドール・バルドメロ・バサン(第2)

出生 (1946-07-01) 1946年7月1日(78歳)
パナマの旗 パナマロス・サントス県ペダシ地方
政党 パナメニスタ党
出身校 マイアミ・デード大学英語版
配偶者 アルヌルフォ・アリアス英語版(1969年結婚、1988年死別)
リカルド・グルーバー(1990年結婚、1997年離婚)

ミレヤ・エリサ・モスコソ・ロドリゲススペイン語: Mireya Elisa Moscoso Rodríguez 1946年7月1日 - )は、パナマ政治家。大統領(1999年 - 2004年)やパナメニスタ党代表(1991年 - 1999年)を歴任。同国初の女性大統領として就任し、在任中はパナマ運河の返還交渉があったが、政権末期には景気後退などにより、汚職を招いた。

経歴

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2001年のアメリカでの会合。左からモスコソ、ジョージ・W・ブッシュフェルナンド・デ・ラ・ルア

モスコソは1946年7月1日、ペダシ地方で6人兄弟の末っ子として誕生[1]。教師だった父親はモスコソが10歳の時に亡くなり、高校卒業後にアルヌルフォ・アリアス大統領の秘書となる[2]

モスコソは1968年のアルヌルフォ・アリアスの大統領選挙を支援した。アリアスはすでに大統領として2期目に突入していた。大統領を再選したが、僅か11日間で再び軍に退陣させられる。モスコソはアリアスと共にアメリカのフロリダ州マイアミに亡命。翌年に2人は結婚し、モスコソはアリアスの後妻となった。当時、モスコソは23歳でアリアスは67歳だった[3]。亡命中にモスコソはマイアミ・デード大学英語版でデザイン学の学位を取得し、卒業[4]

アリアスと1988年に死別後、モスコソはアリアスが遺したコーヒー事業を引き継いだ[5]。1991年9月29日、パナマ侵攻で同国最高指導者であったマヌエル・ノリエガから2年後、パナメニスタ党代表に就任。同年、モスコソは実業家のリカルド・グルーバーと再婚し、養子を迎えた[6][7]

1994年、モスコソは総選挙で亡き夫のパナメニスタ党の大統領候補に立候補。総選挙にはサルサ歌手のルーベン・ブラデスマルティン・トリホスエルネスト・ペレス・バラダレス英語版などが対抗馬となった。モスコソとブラデスはパラダレスがノリエガの内通者であったことが発覚すると、パラダレスを追い落とすようになる[8]

バラダレスは、国民的英雄と見なされていたパナマ軍最高司令官のオマール・トリホスの政策を受け継ぐことを公約に掲げる[9]。バラダレスは最終的に33%の得票率で大統領に当選し、モスコソは29%、ブレードは17%を獲得[10]

1999年5月2日の総選挙で再びPA候補に推薦される。今回、モスコソの対抗馬はオマール・トリホスの息子であるマルティン・トリホスであった。バラダレスが連続再選可能とする憲法改正の是非を問う国民投票を実施したが、国民投票は得票率が過半数に満たなかったため、否決される。1999年の総選挙に45%対37%の得票率でモスコソはトリホスを破った。

1999年9月1日にモスコソは大統領に就任[11][12]。モスコソは離婚していたため、姉のルビー・モスコソ・デ・ヤング英語版ファーストレディの代理を担った[13]。少数与党であったモスコソは国民議会で法案を提出しても、破棄される始末であった。新パナマ運河条約の内容に伴い、1999年にパナマ運河が全面返還される。モスコソ率いるパナマ政府はパナマ運河に駐留していたアメリカ軍の撤退費用を負担したため、同国経済は疲弊の道を歩むことになった。

2000年12月にパナマの国家警備隊基地で遺体が発見される。オマール・トリホス独裁政権時代に殺害された司祭、ヘスス・ヘクター・ガジェゴ・エレーラだと誤って判断。モスコソは捜査委員会の設立させ、報告書はでノリエガ政権が非人道的な拷問で品位を損ねる扱いを行ったと結論付け、さらなる発掘と調査を行うことを命じた[14]

やがて、モスコソは国民議会議員に公費で購入した146,000ドル相当の時計を贈賄したなどの疑惑を問われるようになる[15]。税制改革を議会で通過させようとしたが、野党や多くの国民から反発を浴びる[16]

2004年にモスコソが衣服やジュエリーに公費で数十万ドルを費やしたとマスコミが暴露したとき、批判の嵐に晒された[17]。モスコソは任期中に14年前にさかのぼる名誉毀損の有罪判決で87人のキューバやベネズエラに亡命していたジャーナリストに恩赦を与えた。2008年7月2日、モスコソが実行した80件の恩赦は全て最高裁判所によって違憲として破棄される[18]

勲章

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脚注

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  1. ^ Mireya Moscoso de Arias”. Centro de Estudios y Documentacion Internacionales de Barcelona. 2012年7月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年11月10日閲覧。
  2. ^ Navarro, Mireya (1999年3月4日). “Woman in the News: Mireya Elisa Moscoso; Earnest Icon For Panama”. New York Times. https://www.nytimes.com/1999/05/04/world/woman-in-the-news-mireya-elisa-moscoso-earnest-icon-for-panama.html 2024年11月10日閲覧。 
  3. ^ “Awaiting the lady”. The Economist. (1999年8月28日). オリジナルの7 March 2016時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20160307134014/https://www.highbeam.com/doc/1G1-55622671.html 2024年11月10日閲覧。 
  4. ^ “Awaiting the lady”. The Economist. (1999年8月28日). オリジナルの7 March 2016時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20160307134014/https://www.highbeam.com/doc/1G1-55622671.html 2024年11月10日閲覧。 
  5. ^ Mireya Navarro (1999年3月3日). “The Widow of Ex-Leader Wins Race in Panama”. The New York Times. オリジナルの2016年3月5日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20160305141216/http://www.nytimes.com/1999/05/03/world/the-widow-of-ex-leader-wins-race-in-panama.html?pagewanted=all&src=pm 2024年11月10日閲覧。 
  6. ^ “BBC News | Americas | Panama president pledges smooth Canal transfer”. news.bbc.co.uk. (1999年9月2日). http://news.bbc.co.uk/2/hi/americas/435981.stm 2024年11月10日閲覧. "Receiving the crowd's acclaim, with her adopted son Ricardo" 
  7. ^ Navarro, Mireya (1999年3月4日). “Woman in the News: Mireya Elisa Moscoso; Earnest Icon For Panama”. The New York Times. https://www.nytimes.com/1999/05/04/world/woman-in-the-news-mireya-elisa-moscoso-earnest-icon-for-panama.html 2024年11月10日閲覧。 
  8. ^ Howard W. French (21 February 1994). “Panama Journal; Democracy at Work, Under Shadow of Dictators”. The New York Times. オリジナルの2014年8月9日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140808184548/http://www.nytimes.com/1994/02/21/world/panama-journal-democracy-at-work-under-shadow-of-dictators.html?pagewanted=all&src=pm 2024年11月10日閲覧。 
  9. ^ Douglas Farah (1994年3月9日). “Panamanians Vote in Peace, Picking Ex-Aide of Noriega; Millionaire Perez Balladares Bests Widow of Four-Time President”. The Washington Post. オリジナルの2015年3月29日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20150329104016/http://www.highbeam.com/doc/1P2-889827.html 2024年11月10日閲覧。 
  10. ^ Panama”. University of Missouri-Saint Louis. 2012年10月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年11月10日閲覧。
  11. ^ Gonzalez, David (1999年9月2日). “In Panama's New Dawn, Woman Takes Over”. New York Times. https://www.nytimes.com/1999/09/02/world/in-panama-s-new-dawn-woman-takes-over.html 2024年11月10日閲覧。 
  12. ^ “Ex-First Lady of Panama Sworn In as President”. Los Angeles Times. (1999年9月2日). https://www.latimes.com/archives/la-xpm-1999-sep-02-mn-5967-story.html 2024年11月10日閲覧。 
  13. ^ Ninth Conference of Spouses of Heads of State and Government of the Americas”. Summits of the Americas Secretariat. 2012年12月19日時点のオリジナルよりアーカイブ2024年11月10日閲覧。
  14. ^ “Becalmed”. The Economist. (2001年9月22日). オリジナルの2017年10月30日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20171030052802/https://www.highbeam.com/doc/1G1-78977376.html 2024年11月10日閲覧。 
  15. ^ Serge F. Kovaleski (2000年1月18日). “Panamanians Sound Alarm Over Gift Watches”. The Washington Post. オリジナルの15 April 2016時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20160415175347/https://www.highbeam.com/doc/1P2-500652.html 2024年11月10日閲覧。 
  16. ^ “President Mireya Moscoso asks legislature for tax reform, but prospects are dim”. The Economist. (2001年3月15日). オリジナルの4 March 2016時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20160304054106/https://www.highbeam.com/doc/1G1-71767166.html 2024年11月10日閲覧。 
  17. ^ Viajes, joyas y ropa, el sueño cumplido | la Prensa Panamá” (23 October 2004). 2022年8月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年11月10日閲覧。
  18. ^ Juan Zambrano (2008年7月2日). “Panama's Supreme Court overturns 2004 pardons, including of anti-Castro militant”. 8 March 2016時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年10月29日閲覧。
党職
先代
ヒルデブランド・ニコシア
パナメニスタ党代表
1999年 - 2005年
次代
ホセ・ミゲル・アレマン
公職
先代
エルネスト・ペレス・パラダレス
パナマの旗 パナマ共和国大統領
1999年 - 2004年
次代
マルティン・トリホス