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ミル・テイムル・ヤクボフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ミル・テイムル・ミル・アレクペル・オグルィ・ヤクボフ
Мир Теймур Мир Алекпер оглы Якубов
Мир Тејмур Мир Әләкпәр оғлу Јагубов
生年月日 (1904-11-06) 1904年11月6日
出生地 ロシア帝国の旗 ロシア帝国バクー県バクー郡ロシア語版バクー
没年月日 (1970-02-13) 1970年2月13日(65歳没)
死没地 ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
アゼルバイジャン・ソビエト社会主義共和国、バクー
出身校 V・I・レーニン記念全連邦農業科学アカデミーロシア語版科学研究ソフホーズ研究所
モスクワ測量研究所土地測量学部
バクー労働者学部ロシア語版夜間部
前職 アゼルバイジャン高等共産農業学校副学長
所属政党 アゼルバイジャン共産党
称号 レーニン勲章(1940年)
赤星勲章(1941年)
赤旗勲章(1943年・1949年)
労働赤旗勲章(1949年)
アゼルバイジャンソビエト社会主義共和国内務省中将(1945年)
ソビエト連邦内務省予備役中将(1950年 - 1954年)

在任期間 1953年4月6日 - 1954年2月12日

アゼルバイジャン共産党中央委員会
第二書記
在任期間 1950年6月 - 1952年4月

アゼルバイジャン共産党中央委員会
第三書記
在任期間 1938年3月 - ?

内務人民委員
在任期間 1941年3月6日 - 1943年6月1日

アゼルバイジャン・レーニン共産主義青年同盟
中央委員会第一書記
在任期間 1936年6月 - 1938年3月

その他の職歴
最高会議議長
(1938年7月18日 - 1941年4月7日)
アゼルバイジャン共産党バクー州委員会
第一書記

(1952年4月 - 1953年4月)
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ミル・テイムル・ミル・アレクペル・オグルィ・ヤクボフロシア語: Мир Теймур Мир Алекпер оглы Якубов, 1904年11月6日 - 1970年2月13日)、民族名ミル・テイムル・ミル・アラクバル・オグル・ヤグボフアゼルバイジャン語: Мир Тејмур Мир Әләкпәр оғлу Јагубов)は、ソビエト連邦で活動したアゼルバイジャン人の政治家・チェキスト

生涯

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青年期

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1904年11月6日(ユリウス暦10月24日)、ロシア帝国バクー県バクーで生まれた[1]1920年6月から1925年9月までアゼルバイジャン社会主義ソビエト共和国のバクー・ソビエト共同管理上級管理官を、同月から翌1926年8月までバクー・ソビエト組織部責任書記を務めた[1]。同年まではバクー労働者学部ロシア語版の夜間部で学び、同年9月から1930年7月まではモスクワ測量研究所土地測量学部で学んだ[1]。翌8月から1933年5月まではV・I・レーニン記念全連邦農業科学アカデミーロシア語版科学研究ソフホーズ研究所でも学んでいる[1]。学生時代の1927年全連邦共産党へ入党[1]

党中央へ

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1933年5月からは故郷へ戻ってアゼルバイジャン高等共産農業学校の部長や副学長を務め、1936年6月から1938年3月まではアゼルバイジャン・コムソモール中央委員会第一書記を、同月からはアゼルバイジャン共産党中央委第三書記を歴任[1]。同年7月18日から1941年4月7日までは最高会議 (ru) 議長に就き、同時に1940年3月から1941年3月までは党中央委宣伝・煽動部部長を、また同月までは同部書記も務めている[1]。1940年4月4日にはアゼルバイジャンの共産化20周年およびソビエト化・石油産業・農業発展への貢献を賞してレーニン勲章を授与されている[1]

大粛清への加担

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同月6日から1943年6月1日までは[2]内務人民委員を務め、その後も1950年5月25日までチェキストとして内務省国家安全保障上級少佐ロシア語版(1941年3月29日)・国家安全保障委員ロシア語版1943年2月14日)・三等国家安全保障委員ロシア語版(1944年12月14日)・中将(1945年7月9日)まで昇任してゆき、この間に1941年11月28日には国家安全保障体制構築を賞して赤星勲章を、1943年6月15日には政府の任務の勇敢かつ模範的な履行を賞して赤旗勲章を、翌1946年2月25日には労働赤旗勲章を、1949年8月24日にはバルト三国モルダヴィア黒海沿岸からの住民の強制追放(プリボイ作戦英語版)への貢献を賞して再度赤旗勲章を授与されている[1]

ヤクボフはプリボイ作戦の他にも、アゼルバイジャンにおけるトロイカの一員として大粛清に加担し[3]ザカフカースからのドイツ人[4]ポントス人メスヘティア・トルコ人やその他の反体制派の中央アジアへの追放に関与し[5]党中央委第一書記ミル・ジャファル・バギロフロシア語版の配下として、人民委員会議議長および最高裁判所英語版長官テイムル・クリエフロシア語版とともに「二人のテイムル」の一人として恐れられた[6]

その後もヤクボフは1950年5月から1954年8月まで連邦内務省予備役中将、1950年6月から1952年4月までアゼルバイジャン共産党中央委第二書記、同月から翌1953年4月まで党バクー州 (az) 委第一書記を歴任[1]。同時に1952年10月14日から1956年2月14日までは連邦共産党中央監査委員ロシア語版でもあった[1]

失脚後

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しかし、連邦党中央でラヴレンチー・ベリヤが失脚するや、ヤクボフはクリエフとともに、ベリヤとその子飼いバギロフを非難し[7]、1953年4月6日、自身はバギロフの後釜としてアゼルバイジャン共産党中央委第一書記へと収まった[1]。だが、翌1954年2月12日には第一書記を解任され、1956年8月8日には連邦共産党からも除名され、1957年までハズマスの缶詰工場長へ左遷された[1]。同年からは「アズプロドストロヤ」で設計見積技師を務めていたが、1970年2月13日にバクーで死去した[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n Якубов Мир Теймур Мир Алекпер оглы”. Справочник по истории Коммунистической партии и Советского Союза 1898 - 1991. knowbysight.info. 2020年5月14日閲覧。
  2. ^ История МВД”. Министерство Внутренних Дел Азербайджанской Республики. 2020年5月14日閲覧。
  3. ^ Приложение 2. Составы троек НКВД—УНКВД 1937–1938 гг., созданных для рассмотрения дел арестованных в ходе массовой операции по приказу НКВД СССР № 00447 от 30 июля 1937 г.”. Архив Александра Н. Яковлева. 2020年5月14日閲覧。
  4. ^ Проект приказа НКВД СССР № 001487 о мероприятиях по переселению немцев из Грузинской, Азербайджанской и Армянской ССР”. Архив Александра Н. Яковлева. 2020年5月14日閲覧。
  5. ^ Приказ министра внутренних дел СССР № 00525 «Об обеспечении перевозок, расселения и трудового устройства выселенцев с территории Грузинской, Армянской и Азербайджанской СССР, а также побережья Черного моря»”. Архив Александра Н. Яковлева. 2020年5月14日閲覧。
  6. ^ Dünyaminqızı, Qərənfil (2019年11月28日). “Azərbaycan xalqına qənim kəsilən “Teymurlar””. Kaspiアゼルバイジャン語版. https://www.kaspi.az/az/azerbaycan-xalqina-qenim-kesilen-teymurlar 2020年5月14日閲覧。 
  7. ^ “Mir Cəfər Bağırovun üzünə kimlər durdu?! (IV yazı)-ARAŞDIRMA”. Xural. (2017年4月19日). https://www.xural.com/mir-c%C9%99f%C9%99r-bagirovun-uzun%C9%99-kiml%C9%99r-durdu-iv-yazi-arasdirma/ 2020年5月14日閲覧。 
党職
先代
ミル・ジャファル・バギロフロシア語版
アゼルバイジャン共産党中央委員会第一書記
1953年4月6日 - 1954年2月12日
次代
イマム・ムスタファエフロシア語版
公職
先代
ステパン・エメリヤノフロシア語版
内務人民委員
1941年3月6日 - 1943年6月1日
次代
アガ・サリム・アタキシエフロシア語版
先代
なし
最高会議議長
1938年7月18日 - 1941年4月7日
次代
アジズ・アリエフロシア語版