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ミルトン子爵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ミルトン子爵(ミルトンししゃく、: Viscount Milton)とミルトン男爵(ミルトンだんしゃく、Baron Milton)は、イギリスの貴族爵位。それぞれ3回創設され、すべて廃絶している。「ミルトン」は6回の創設で合計5か所の地名を指す。

シドニー家

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初代ロムニー伯爵、ジョン・バプティスト・メディナ英語版画。

イングランド王国の軍人ヘンリー・シドニー(1641–1704)は1689年4月9日にイングランド貴族であるケント州におけるミルトン男爵Baron Milton, Co. Kent)とケント州シェピーにおけるシドニー子爵に叙された[1]。1694年5月14日に同じくイングランド貴族であるケント州におけるロムニー伯爵に叙されたが、生涯未婚であり、1704年に病死すると爵位はすべて廃絶した[2]

第1期のミルトン男爵の「ミルトン」はケント州ミルトン・レジス英語版を指す[3]

フィッツウィリアム家

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フィッツウィリアム家の紋章

アイルランド王国の政治家第3代フィッツウィリアム男爵ウィリアム・フィッツウィリアム英語版(1643–1719)は1716年7月21日にアイルランド貴族であるウェストミーズ県におけるミルトン子爵Viscount Milton, co. Westmeath)とティロン県におけるフィッツウィリアム伯爵に叙された[4]。その孫にあたる3代伯爵ウィリアム・フィッツウィリアム(1720–1756)は1742年4月19日にグレートブリテン貴族であるノーサンプトン州におけるミルトン男爵Lord FitzWilliam, Baron of Milton, co. Northampton)に叙され、1746年9月6日に同じくグレートブリテン貴族であるノーサンプトン州におけるミルトン子爵Viscount Milton, co. Northampton)とノーサンプトン州ノーバラにおけるフィッツウィリアム伯爵に叙された[5]。1979年にその子孫である10代伯爵トマス・ウェントワース=フィッツウィリアム英語版(1904–1979)が死去すると、爵位はすべて廃絶した[6]

第1期のミルトン子爵の「ミルトン」はウェストミーズ県ミルトンを、第2期はノーサンプトン州ミルトン・ホール英語版(現ケンブリッジシャーの一部)を指す[3]

デイマー家

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グレートブリテン王国の政治家ジョセフ・デイマー英語版(1718–1798)は1753年7月3日にアイルランド貴族であるティペラリー県におけるシュロニルのミルトン男爵Baron Milton of Shronehill, co. Tipperary)に叙された[7]。さらに1762年5月10日/11日にグレートブリテン貴族であるドーセット州ミルトン・アビーにおけるミルトン男爵Baron Milton of Milton Abbey, co. Dorset)に、1792年5月18日に同じくグレートブリテン貴族であるドーセット州ミルトン・アビーにおけるミルトン子爵Viscount Milton of Milton Abbey, co. Dorset)とドーセット州におけるドーチェスター伯爵に叙された[7]。その息子である2代伯爵ジョージ・デイマー英語版(1746–1808)が生涯未婚のまま死去すると、後継者がおらず爵位がすべて廃絶した[7]

第2期のミルトン男爵の「ミルトン」はティペラリー県シュロネル英語版のミルトンを指し、第2期と第3期のミルトン子爵の「ミルトン」はドーセットミルトン修道院英語版を指す[8]

出典

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参考文献

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