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ミルトン・ブラッドリー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ミルトン・ブラッドリー
Milton Bradley
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 カリフォルニア州ハーバーシティ英語版
生年月日 (1978-04-15) 1978年4月15日(46歳)
身長
体重
6' 0" =約182.9 cm
225 lb =約102.1 kg
選手情報
投球・打席 右投両打
ポジション 外野手
プロ入り 1996年 ドラフト2巡目
初出場 2000年7月19日
最終出場 2011年5月8日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
獲得メダル
男子 野球
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
パンアメリカン競技大会
1999 野球

ミルトン・オーベル・ブラッドリー・ジュニア(Milton Obelle Bradley, Jr., 1978年4月15日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス市ハーバーシティ英語版地区出身の元プロ野球選手外野手)。右投両打。

経歴

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プロ入りとエクスポズ時代

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1996年ドラフト2巡目(全体40位)でモントリオール・エクスポズから指名を受けプロ入り。

1999年同年のパンアメリカン競技大会野球アメリカ合衆国代表に選出されている[1]

2000年7月19日にメジャーデビューを果たした。

インディアンス時代

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2001年7月31日にザック・デイとのトレードクリーブランド・インディアンスへ移籍[2]

2003年に.321という高打率をマークし、チーム最多の17盗塁を記録。

2004年4月2日のオープン戦では全力疾走を怠り、エリック・ウェッジ監督ベンチに下げられたため、試合中に宿舎へ帰ってしまった。

ドジャース時代

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2004年4月2日に前述の出来事の関係で[3]ロサンゼルス・ドジャースへトレードで移籍[2]

開幕前に3番打者と言われたエイドリアン・ベルトレに代わり、開幕から3番で出場[3]。9月28日のロッキーズ戦では満塁の場面でブラッドリーの元へ打球が飛んだがそれを落球。そのエラーに対してファンが野次交じりに、ジュース入りのペットボトルをグラウンドに投げ込んだ。その行為に怒ったブラッドリーはファンの元へと歩み寄り、怒鳴りあい、そのペットボトルをスタンドに叩き付けた。それを重く見たバド・セリグコミッショナーから、シーズン終了まで5試合の出場停止処分を言い渡された[4]。シーズン終了後の11月にロサンゼルスでスピード違反の際には警察官と口論を演じ、12月には2003年にクリーブランドで起こしたスピード違反が公務執行妨害の有罪判決を受け、3日間刑務所に服役している[4]。そのため球団はカウンセラーを雇いブラッドリーの精神安定に一定の効果を挙げた[5]

2005年はけがで75試合の出場に終わった。

アスレチックス時代

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2005年シーズン終了後の12月13日にトレードでオークランド・アスレチックスへ移籍[2]

2006年は左肩痛でシーズン前半は故障者リスト入りで多くの試合を欠場。9月23日と9月28日の試合において審判の判定に対して抗議。両試合において退場を言い渡され、1週間に2度退場処分を受けるという失態を演じている[6]

パドレス時代

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2007年7月29日にアンドリュー・ブラウンとのトレードでサンディエゴ・パドレスへ移籍。

移籍後は打率.313・出塁率.414を記録。9月23日ロッキーズ戦で一塁審判と口論になり退場の処分を受ける。その後ブラッドリーは審判に詰め寄ろうとし、パドレス監督バド・ブラックはそれを止めようと後ろから抱きかかえるように制止に入ったが、ブラッドリーは倒れ右膝靭帯断裂の負傷でシーズンの残りを棒に振ってしまった[7]。オフの10月30日に初のフリーエージェントとなった[2]

レンジャーズ時代

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2007年12月12日にテキサス・レンジャーズと1年契約で合意[8]

2008年は故障者リスト入りはなかったが、満身創痍ながらプレイ[9]。開幕から首位打者争いを続け、オールスターにも選出され、最終的に打率.321はリーグ3位。出塁率.431・OPS.999はリーグ1位。好調の要因の一つはグレッグ・マダックスから投手の心理や打者との駆け引きを教わったことだという[9]

カブス時代

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2009年1月8日にシカゴ・カブスと3年3000万ドルで契約を結んだ。しかし、自慢の打撃で打率.257と不振に陥った挙句、"シカゴではレストランのウェイターまでが文句を言う" "このチームにいても楽しくない"などと発言し、シーズン終了を待たずして自宅に強制送還。

マリナーズ時代

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2009年オフにカルロス・シルバとの交換でシアトル・マリナーズへ移籍した。

2011年1月18日午前、女性に対する脅迫容疑でロサンゼルス市警察に逮捕され、午後には保釈された[10]。更に同年5月9日には、シアトル・マリナーズから戦力外通告を受けた。戦力外通告前までの成績は、28試合出場で打率.218であった[11]

2013年7月2日、別居中の妻モニークに対して凶器を使って暴行したり、脅迫を行った罪など軽犯罪9件で有罪となり、懲役960日と保護観察7年の判決が下り、社会奉仕活動400時間を命じられた[12]。モニークはその2ヶ月後の9月14日に亡くなったが、死因は明らかにされていない[13]

選手としての特徴

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練習態度が悪く、怠慢プレーなどトラブルが多いことで知られる[4]

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
2000 MON 42 171 154 20 34 8 1 2 50 15 2 1 1 1 14 0 1 32 3 .221 .288 .325 .613
2001 67 242 220 19 49 16 3 1 74 19 7 4 2 0 19 0 1 62 6 .223 .288 .336 .620
CLE 10 20 18 3 4 1 0 0 5 0 1 1 0 0 2 0 0 3 1 .222 .300 .278 .578
'01計 77 262 238 22 53 17 3 1 79 19 8 5 2 0 21 0 1 65 7 .223 .288 .332 .620
2002 98 358 325 48 81 18 3 9 132 38 6 3 1 0 32 2 0 58 12 .249 .317 .406 .723
2003 101 451 377 61 121 34 2 10 189 56 17 7 0 5 64 8 5 73 10 .321 .421 .501 .922
2004 LAD 141 597 516 72 138 24 0 19 219 67 15 1 3 1 71 3 6 123 12 .267 .362 .424 .786
2005 75 315 283 49 82 14 1 13 137 38 6 1 4 1 25 1 2 47 6 .290 .350 .484 .834
2006 OAK 96 405 351 53 97 14 2 14 157 52 10 2 0 1 51 1 2 65 13 .276 .370 .447 .817
2007 19 75 65 6 19 4 0 2 29 7 2 1 0 1 8 1 1 14 2 .292 .373 .446 .819
SD 42 169 144 31 45 5 1 11 85 30 3 1 0 0 23 2 2 27 3 .313 .414 .590 1.004
'07計 61 244 209 37 64 9 1 13 114 37 5 2 0 1 31 3 3 41 5 .306 .402 .545 .947
2008 TEX 126 509 414 78 133 32 1 22 233 77 5 3 0 6 80 13 9 112 10 .321 .436 .563 .999
2009 CHC 124 473 393 61 101 17 1 12 156 40 2 3 2 1 66 4 11 95 10 .257 .378 .397 .775
2010 SEA 73 278 244 28 50 9 1 8 85 29 8 2 1 2 28 2 3 75 2 .205 .292 .348 .641
2011 28 115 101 12 22 6 1 2 36 13 4 0 0 0 13 1 1 31 1 .218 .313 .356 .669
MLB:12年 1042 4178 3605 541 976 202 17 125 1587 481 88 40 14 19 496 38 44 817 91 .271 .364 .440 .804
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績

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左翼(LF) 中堅(CF) 右翼(RF)




































2000 MON - 40 87 6 2 0 .979 -
2001 13 16 0 1 0 .941 52 137 5 1 1 .993 2 2 0 0 0 1.000
CLE - 8 12 1 1 0 .929 1 0 0 0 0
'01計 13 16 0 1 0 .941 60 149 6 2 1 .987 3 2 0 0 0 1.000
2002 - 94 215 9 4 2 .982 -
2003 - 93 245 6 2 3 .992 -
2004 LAD 17 34 1 0 0 1.000 93 232 2 4 1 .983 31 66 5 4 0 .947
2005 - 72 182 6 2 0 .989 -
2006 OAK - - 94 191 4 4 0 .980
2007 - 15 29 0 0 0 1.000 3 5 0 0 0 1.000
SD 40 72 3 2 1 .974 - 1 1 0 0 0 1.000
'07計 40 72 3 2 1 .974 15 29 0 0 0 1.000 4 6 0 0 0 1.000
2008 TEX 1 1 0 0 0 1.000 - 19 42 4 3 3 .939
2009 CHC - 1 0 0 0 0 108 197 5 3 4 .985
2010 SEA 39 87 3 1 0 .989 - 1 1 0 1 0 .500
2011 26 53 0 2 0 .964 - -
MLB 136 263 7 6 1 .978 468 1139 35 16 7 .987 260 505 18 15 7 .972

記録

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背番号

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  • 24(2000年 - 2001年途中、2002年途中 - 2003年)
  • 39(2001年途中 - 2002年途中)
  • 21(2004年 - 2005年、2008年 - 2009年)
  • 22(2006年 - 2007年途中)
  • 15(2007年途中 - 同年終了、2010年 - 2011年)

代表歴

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  • 1999年パンアメリカン競技大会野球アメリカ合衆国代表

脚注

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  1. ^ 1999 Pan American Team Roster USABaseball.com (英語) (2011年5月18日) 2016年2月27日閲覧
  2. ^ a b c d Milton Bradley Statistics” (英語). Baseball-Reference.com. 2009年1月8日閲覧。
  3. ^ a b 「30 CLUB MONTHLY REPORT 各球団マンスリー・リポート ロサンゼルス・ドジャース 開幕前日の電撃トレードで活気! ブラッドリーの加入で布陣を再編」『月刊メジャー・リーグ』2004年6月号、ベースボールマガジン社、2004年、雑誌 08625-6、61頁
  4. ^ a b c 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2005』廣済堂出版、2005年、383頁頁。ISBN 978-4-331-51093-3 
  5. ^ 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2006』廣済堂出版、2006年、194頁頁。ISBN 978-4-331-51146-6 
  6. ^ 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2007』廣済堂出版、2007年、191頁頁。ISBN 978-4-331-51213-5 
  7. ^ 谷口輝世子 「2007年 裏・事件簿トップ10 1位 ブチ切れ問題児のトホホな顛末」『月刊スラッガー』2008年1月号、日本スポーツ企画出版社、2008年、雑誌15509-1、60頁
  8. ^ Rangers finalize one-year contract with Bradley” (英語). MLB.com (2007年12月13日). 2009年1月8日閲覧。
  9. ^ a b 小林信行 「MLB30球団レポート&全選手個人成績 テキサス・レンジャーズ/TEX 首位打者争いは、あの大投手のおかげ」『月刊スラッガー』2008年11月号、日本スポーツ企画出版社、2008年、雑誌 15509-11、80頁。
  10. ^ “イチローの同僚ブラッドリー、脅迫の疑いで逮捕”. 読売新聞. (2011年1月19日). https://web.archive.org/web/20110122182053/http://www.yomiuri.co.jp/sports/mlb/news/20110119-OYT1T00877.htm 2011年1月19日閲覧。 
  11. ^ “MLB=マリナーズ、ブラッドリー外野手に戦力外通告”. ロイター通信. (2011年5月10日). https://jp.reuters.com/article/sportsNews/idJPJAPAN-21002220110510 2011年5月25日閲覧。 
  12. ^ Former MLB player Milton Bradley gets three years in jail for spousal abuse” (英語). The Daily News. 2013年12月5日閲覧。
  13. ^ Monique J. Bradley” (英語). Legacy.com. 2013年12月5日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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