ミルコ・ヴチニッチ
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モンテネグロ代表でのヴチニッチ (2012年) | ||||||
名前 | ||||||
ラテン文字 | Mirko Vučinić | |||||
モンテネグロ語 | Мирко Вучинић | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | モンテネグロ | |||||
生年月日 | 1983年10月1日(41歳) | |||||
出身地 | ニクシッチ | |||||
身長 | 186cm | |||||
体重 | 79kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW (CF) | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1998-1999 | スティエスカ・ニクシッチ | |||||
2000-2002 | レッチェ | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1999-2000 | スティエスカ・ニクシッチ | 9 | (3) | |||
2000-2006 | レッチェ | 111 | (34) | |||
2006-2011 | ローマ | 147 | (46) | |||
2011-2014 | ユヴェントス | 75 | (21) | |||
2014-2017 | アル・ジャジーラ | 29 | (27) | |||
代表歴 | ||||||
2005-2006 | セルビア・モンテネグロ | 3 | (0) | |||
2007-2017 | モンテネグロ | 45 | (17) | |||
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ミルコ・ヴチニッチ(セルビア語: Мирко Вучинић, 英語: Mirko Vučinić, 1983年10月1日 - )は、ユーゴスラビア(現モンテネグロ)・ニクシッチ出身の元サッカー選手。元モンテネグロ代表。ポジションはフォワード。
経歴
[編集]クラブ
[編集]地元クラブでプレーしていた2000年、当時USレッチェのスポーツディレクターだったパンタレオ・コルヴィーノにスカウトされレッチェに入団。2004年にズデネク・ゼーマンがレッチェの監督に就任すると次第にレギュラーで起用されるようになり、2004-05シーズンは29試合で19ゴールを挙げセリエA得点王争いで5位につけるなど才能を開花させる(得点王は24得点を挙げたクリスティアーノ・ルカレッリ)。しかし翌2005-06シーズンは怪我で出遅れ、31試合で9ゴールに終わる。
2006 FIFAワールドカップではセルビア・モンテネグロ代表に選出されるも、怪我のため離脱した。
2006年6月21日にASローマにレンタル移籍すると、UEFAチャンピオンズリーグ決勝トーナメント準々決勝のマンチェスター・ユナイテッドFC戦でゴールを決めるなど頭角を表し、シーズン終了後に移籍金750万ユーロでローマに移籍(レッチェとの共同保有)。シーズン当初は左のウインガーとしてプレーしていたが、フランチェスコ・トッティが怪我で長期離脱するとワントップのセンターフォワードとして起用される。するとUEFAチャンピオンズリーグではスポルティングCP戦で決勝ゴールを決めるなど、ストライカーとしてトッティの穴を埋めた。CL決勝トーナメント・対レアル・マドリード第2戦ではマンシーニに代わってピッチに立ち、マッチアップしていたペペを退場に追い込むと1点目の起点となり、自身もアディショナルタイムに決勝点を決めた。シーズンオフには新たに移籍金1200万ユーロでローマが保有権を買い取り、完全移籍となった。2008年11月4日のチャンピオンズリーグ・チェルシーFC戦では2得点を記録し勝利に貢献。しかしアーセナルFCとの決勝トーナメント1回戦のPK戦ではPKを外し、チームも敗退した。2010年3月20日のウディネーゼ・カルチョ戦では自身初のハットトリックを記録した。4月18日のSSラツィオとのローマダービーではPKと直接フリーキックで2得点を挙げ、チームの逆転勝利に貢献した。
2010-11シーズンはクラウディオ・ラニエリの解任以前には3トップの一角として、ヴィンチェンツォ・モンテッラの就任後はゼロトップ時代のように左サイドでプレー。2010年9月25日のインテル・ミラノ戦では終了直前にダイビングヘッドで決勝点を挙げた。しかし、2011年4月16日のUSチッタ・ディ・パレルモ戦と4月19日のインテル戦と2戦続けて絶好機でシュートを外して敗戦となり[1][2]、最終的には10得点を挙げたもののサポーターからは大きなブーイングを受け、クラブもリーグ6位に終わった[3]。
2011年8月1日、ユヴェントスFCに移籍。移籍金は1500万ユーロ。当初の背番号は14番。ユヴェントスではアレッサンドロ・マトリと2トップを形成し、マトリに次ぐ9得点を挙げて9年ぶりのスクデット獲得に寄与した。背番号を9番に変更した2012-13シーズンも連覇の立役者として貢献するも、翌シーズンは自身の負傷とカルロス・テベスやフェルナンド・ジョレンテといったFWにポジションを奪われたことで移籍を志願。2014年1月にフレディ・グアリンとのトレードでインテルへの移籍に迫ったが、自クラブサポーターの反発を恐れたインテル会長エリック・トヒルが交渉の中断を指示したため成立しなかった[4]。その後、アーセナル移籍の噂が浮上したものの結局残留。
2014年7月4日、アル・ジャジーラ・クラブへの移籍が決定した[5]。加入初年度にリーグ戦で25ゴールを挙げ得点王を獲得、リーグの最優秀外国人選手に選出された。2016-17シーズン限りでクラブとの契約が満了しフリーとなった[6]。
代表
[編集]セルビア・モンテネグロ分裂の際に、著名な選手の多くはセルビア国籍を選択したが、ヴチニッチは故郷のモンテネグロ国籍を選択した。2007年6月4日に行われたEURO2008予選のブルガリア戦でモンテネグロ代表デビュー。代表ではキャプテンを務めている。
人物
[編集]2013年7月1日にイタリア人女性と結婚[7]。なお、2人の間にはすでに2人の息子がいる。
タイトル
[編集]クラブ
[編集]- レッチェ
- カンピオナート・プリマヴェーラ : 2002-03, 2003-04
- コッパ・イタリア・プリマヴェーラ: 2002
- ローマ
- スーペルコッパ・イタリアーナ : 2007
- コッパ・イタリア : 2007, 2008
- ユヴェントス
- セリエA : 2011-12, 2012-13, 2013-14
- スーペルコッパ・イタリアーナ : 2012, 2013
- アル・ジャジーラ
- UAEプレジデントカップ : 2016
個人
[編集]- モンテネグロ年間最優秀サッカー選手賞 : 7回 (2006, 2007, 2008, 2010, 2011, 2012, 2013)
- アラビアン・ガルフ・リーグ得点王 : 2014-15(25得点)
- アラビアン・ガルフ・リーグ年間最優秀外国人選手 : 2015
関連人物
[編集]- パンタレオ・コルヴィーノ(※レッチェ時代にヴチニッチをスカウトした人物。)
脚注
[編集]- ^ コッパ決勝進出を諦めないモンテッラ 「逆転は可能」Livedoorスポーツ 2011年4月20日
- ^ デ・ロッシ、コッパ決勝を諦めずGoal.com 2011年4月20日
- ^ インテル、コッパ・イタリア決勝進出に迫るGoal.com 2011年4月20日
- ^ グアリンとヴチニッチのトレードは破談、インテルが撤退 Goal 2014年1月22日
- ^ “ユヴェントスがヴチニッチ退団を発表…アル・ジャジーラへ完全移籍”. サッカーキング (2014年7月5日). 2018年1月6日閲覧。
- ^ “Calciomercato, Vucinic può tornare in Italia: è il sogno del Foggia”. Goal.com (2017年12月27日). 2018年1月6日閲覧。
- ^ http://jp-juventus.com/news-5-8-6030-news.html
外部リンク
[編集]- Mirko Vucinic (@MirkoVucinic) - X(旧Twitter)
- Mirko Vucinic (@mirkisa) - Instagram
- Mirko Vucinic (MirkoVucinicOfficial) - Facebook
- Profile on AS Roma website
- Mirko Vučinić career and stats at soccerway.com
- Mirko Vucinic - player profile Transfermarkt