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ミルコ・ヴチニッチ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ミルコ・ブチニッチから転送)
ミルコ・ヴチニッチ
モンテネグロ代表でのヴチニッチ (2012年)
名前
ラテン文字 Mirko Vučinić
モンテネグロ語 Мирко Вучинић
基本情報
国籍 モンテネグロの旗 モンテネグロ
生年月日 (1983-10-01) 1983年10月1日(41歳)
出身地 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ニクシッチ
身長 186cm
体重 79kg
選手情報
ポジション FW (CF)
利き足 右足
ユース
1998-1999 ユーゴスラビアの旗 スティエスカ・ニクシッチ
2000-2002 イタリアの旗 レッチェ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1999-2000 ユーゴスラビアの旗 スティエスカ・ニクシッチ 9 (3)
2000-2006 イタリアの旗 レッチェ 111 (34)
2006-2011 イタリアの旗 ローマ 147 (46)
2011-2014 イタリアの旗 ユヴェントス 75 (21)
2014-2017 アラブ首長国連邦の旗 アル・ジャジーラ 29 (27)
代表歴
2005-2006 セルビア・モンテネグロの旗 セルビア・モンテネグロ 3 (0)
2007-2017 モンテネグロの旗 モンテネグロ 45 (17)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ミルコ・ヴチニッチセルビア語: Мирко Вучинић, 英語: Mirko Vučinić, 1983年10月1日 - )は、ユーゴスラビア(現モンテネグロ)・ニクシッチ出身の元サッカー選手。元モンテネグロ代表。ポジションはフォワード


経歴

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クラブ

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地元クラブでプレーしていた2000年、当時USレッチェのスポーツディレクターだったパンタレオ・コルヴィーノにスカウトされレッチェに入団。2004年にズデネク・ゼーマンがレッチェの監督に就任すると次第にレギュラーで起用されるようになり、2004-05シーズンは29試合で19ゴールを挙げセリエA得点王争いで5位につけるなど才能を開花させる(得点王は24得点を挙げたクリスティアーノ・ルカレッリ)。しかし翌2005-06シーズンは怪我で出遅れ、31試合で9ゴールに終わる。

2006 FIFAワールドカップではセルビア・モンテネグロ代表に選出されるも、怪我のため離脱した。

2006年6月21日にASローマレンタル移籍すると、UEFAチャンピオンズリーグ決勝トーナメント準々決勝のマンチェスター・ユナイテッドFC戦でゴールを決めるなど頭角を表し、シーズン終了後に移籍金750万ユーロでローマに移籍(レッチェとの共同保有)。シーズン当初は左のウインガーとしてプレーしていたが、フランチェスコ・トッティが怪我で長期離脱するとワントップのセンターフォワードとして起用される。するとUEFAチャンピオンズリーグではスポルティングCP戦で決勝ゴールを決めるなど、ストライカーとしてトッティの穴を埋めた。CL決勝トーナメント・対レアル・マドリード第2戦ではマンシーニに代わってピッチに立ち、マッチアップしていたペペを退場に追い込むと1点目の起点となり、自身もアディショナルタイムに決勝点を決めた。シーズンオフには新たに移籍金1200万ユーロでローマが保有権を買い取り、完全移籍となった。2008年11月4日のチャンピオンズリーグチェルシーFC戦では2得点を記録し勝利に貢献。しかしアーセナルFCとの決勝トーナメント1回戦のPK戦ではPKを外し、チームも敗退した。2010年3月20日のウディネーゼ・カルチョ戦では自身初のハットトリックを記録した。4月18日のSSラツィオとのローマダービーではPKと直接フリーキックで2得点を挙げ、チームの逆転勝利に貢献した。

2010-11シーズンクラウディオ・ラニエリの解任以前には3トップの一角として、ヴィンチェンツォ・モンテッラの就任後はゼロトップ時代のように左サイドでプレー。2010年9月25日のインテル・ミラノ戦では終了直前にダイビングヘッドで決勝点を挙げた。しかし、2011年4月16日のUSチッタ・ディ・パレルモ戦と4月19日のインテル戦と2戦続けて絶好機でシュートを外して敗戦となり[1][2]、最終的には10得点を挙げたもののサポーターからは大きなブーイングを受け、クラブもリーグ6位に終わった[3]

2011年8月1日、ユヴェントスFCに移籍。移籍金は1500万ユーロ。当初の背番号は14番。ユヴェントスではアレッサンドロ・マトリと2トップを形成し、マトリに次ぐ9得点を挙げて9年ぶりのスクデット獲得に寄与した。背番号を9番に変更した2012-13シーズンも連覇の立役者として貢献するも、翌シーズンは自身の負傷とカルロス・テベスフェルナンド・ジョレンテといったFWにポジションを奪われたことで移籍を志願。2014年1月にフレディ・グアリンとのトレードでインテルへの移籍に迫ったが、自クラブサポーターの反発を恐れたインテル会長エリック・トヒルが交渉の中断を指示したため成立しなかった[4]。その後、アーセナル移籍の噂が浮上したものの結局残留。

2014年7月4日、アル・ジャジーラ・クラブへの移籍が決定した[5]。加入初年度にリーグ戦で25ゴールを挙げ得点王を獲得、リーグの最優秀外国人選手に選出された。2016-17シーズン限りでクラブとの契約が満了しフリーとなった[6]

代表

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セルビア・モンテネグロ分裂の際に、著名な選手の多くはセルビア国籍を選択したが、ヴチニッチは故郷のモンテネグロ国籍を選択した。2007年6月4日に行われたEURO2008予選ブルガリア戦でモンテネグロ代表デビュー。代表ではキャプテンを務めている。

人物

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2013年7月1日にイタリア人女性と結婚[7]。なお、2人の間にはすでに2人の息子がいる。

タイトル

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クラブ

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レッチェ
ローマ
ユヴェントス
  • セリエA : 2011-12, 2012-13, 2013-14
  • スーペルコッパ・イタリアーナ : 2012, 2013
アル・ジャジーラ

個人

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関連人物

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脚注

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外部リンク

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