ミハイル・バーソフ
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ミハイル・ヤコフレヴィチ・バーソフ(ロシア語: Михаи́л Я́ковлевич Ба́сов, ラテン文字転写: Mikhail Yakovlevich Basov、1892年 11月15日(ユリウス暦11月3日)- 1931年 10月6日)は、ソビエト連邦の心理学者。ロギノヴォの生まれ。専門は児童心理学。ゲルツェン名称レニングラード教育大学の総長を務めた。児童心理学の追究の過程で人格を対象とし、人間の活動が人格の発達に寄与する意義を解明した。また、児童心理の研究方法の新規開発につとめ、方法論を著作として公刊した[1]。心理学的分析、特に構造的分析の方法では、分析の路線と人格への全体的接近の路線との統合を試みた。このことはヴィゴツキーによる方法解析の前段階となった[2]。意志の理論への生理学の成果の応用を図り、反射学の学説を用いた[3]。
著書
[編集]- 『機能心理学の対象としての意志』(1922年)
- 『心理学的観察の方法体系の試み』(1923年)
- 『児童学の一般的基礎』(1928年)
- 『人格と職業』(1936年)
参考文献
[編集]- バーソフ「児童学的心理学の根本問題及びその方法としての行動過程の構造分析」(邦訳、山下徳治訳、鐵塔書院『新興ロシアの教育』1929年)