ミヌキウス氏族
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ミヌキウス氏族 (ラテン語: Gens Minucia) は、古代ローマの氏族のひとつ。共和政前期にはパトリキ系が、後期にはプレブス系が勃興し、政務官を輩出した。
パトリキ系
[編集]アウグリヌス家
[編集]- マルクス・ミヌキウス・アウグリヌス: 紀元前497年、491年の執政官[1]
- プブリウス・ミヌキウス・アウグリヌス: 紀元前492年の執政官[2]
エスクィリヌス家
[編集]- マルクス
- プブリウス
その他
[編集]プレブス系
[編集]アウグリヌス家
[編集]- ティベリウス・ミヌキウス・アウグリヌス: 紀元前305年の執政官[7]
- ガイウス・ミヌキウス・アウグリヌス: 紀元前184年の護民官。スキピオ・アシアティクスに罰金を課し、大グラックスの逮捕を命じたという[8]
ルフス家
[編集]- ガイウス
- ガイウス
- マルクス・ミヌキウス・ルフス: 紀元前221年の執政官[9]。紀元前217年には独裁官も
- ガイウス
- ガイウス
- マルクス・ミヌキウス・ルフス: 紀元前197のプラエトル。ペレグリン担当[11]
- クィントゥス
- マルクス・ミヌキウス・ルフス: 紀元前110年の執政官[12]
- クィントゥス・ミヌキウス・ルフス: 上記ルフスの兄弟。彼の下でレガトゥスとして働く
テルムス家
[編集]- クィントゥス
- ルキウス
- ルキウス・ミヌキウス・テルムス: 紀元前182年からレガトゥスとしてクィントゥス・フルウィウス・フラックスの下で活躍[14]
- ルキウス・ミヌキウス・テルムス: 紀元前154年にプトレマイオス7世がキプロスに戻れるよう派遣された三人のうちの一人[15]
その他
[編集]- マルクス・ミヌキウス: 紀元前401年の護民官[16]
- マルクス・ミヌキウス・ファエスス: 紀元前300年のオグルニウス法によって追加されたプレブス出身アウグル[17]
- マルクス・ミヌキウス: 紀元前216年の護民官。財務担当三人官創設の法案提出[18]
- ティベリウス・ミヌキウス・モッリクルス: 紀元前180年のプラエトル。ペレグリン担当[19]
- クィントゥス・ミヌキウス: 紀元前164年のプラエトル[20]
- クィントゥス・ミヌキウス: 紀元前135年のアエディリス[21]
脚注
[編集]- ^ Broughton, p.12.
- ^ Broughton, p.16.
- ^ Broughton, p.39.
- ^ Broughton, p.41.
- ^ Broughton, p.71.
- ^ Broughton, p.139.
- ^ Broughton, p.166.
- ^ Broughton, p.376.
- ^ Broughton, p.233.
- ^ Broughton, p.332.
- ^ Broughton, p.333.
- ^ Broughton, p.543.
- ^ Broughton, p.346.
- ^ Broughton, p.383.
- ^ Broughton, p.451.
- ^ Broughton, p.84.
- ^ Broughton, p.173.
- ^ Broughton, p.249.
- ^ Broughton, p.388.
- ^ Broughton, p.439.
- ^ Broughton, p.489.
参考文献
[編集]- T. R. S. Broughton (1951, 1986). The Magistrates of the Roman Republic Vol.1. American Philological Association