ミス・ユニバース1959
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ミス・ユニバース1959 | |
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ミス・ユニバース1959 児島明子 | |
開催日 | 1959年7月24日 |
司会者 | バイロン・パルマ |
会場 |
アメリカ合衆国 カリフォルニア州 ロングビーチ市立公会堂 |
放送局 | KTTV |
参加 | 34 |
入賞 | 15 |
初参加 | |
不参加 | |
再参加 | |
優勝者 |
児島明子 日本 |
好感度部門 |
ソッサイ・ワーニワッタナー タイ |
フォトジェニック部門 |
パメラ・アン・サール イングランド |
前回 | 1958 |
次回 | 1960 |
ミス・ユニバース1959(Miss Universe 1959、第8回ミス・ユニバース世界大会)は1959年7月24日にアメリカ合衆国カリフォルニア州ロングビーチで開催された。34か国の代表が競い、最後に日本の児島明子が勝利し、アジア初、東アジア・極東初のタイトル獲得者となった。彼女はコロンビアのルス・マリナ・スールアガから栄冠を譲り受け、スピーチで1964年東京オリンピックを紹介し、ミス・ユニバースを「美のオリンピック」に喩えた[1]。ミス・ユニバースのロングビーチでの開催はこの年が最後であり、翌1960年にはフロリダ州のマイアミビーチに移り、ロングビーチはミス・インターナショナルの開催地となった。
最終結果
[編集]入賞者
[編集]最終結果 | 参加者 |
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ミス・ユニバース 1959 |
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第2位 |
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第3位 | |
第4位 |
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第5位 |
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トップ15 |
参加者
[編集]- アルゼンチン - リアナ・コルティーホ
- オーストリア - クリスティーネ・スパツィエル
- ベルギー - エレーヌ・サヴィニー
- ボリビア - コリーナ・タボルガ
- ブラジル - ヴェラ・レギナ・リベイロ
- ビルマ - タン・タン・エー
- カナダ - アイリーン・バター
- コロンビア - オルガ・プマヘロ・コルコル
- コスタリカ - ジアン・モンジュリオール
- キューバ - イルマ・ブエサ・マス
- デンマーク - リサ・ストルバーグ
- エクアドル - カルロタ・エレナ・アヤラ
- イングランド - パメラ・アン・サール
- フランス - フランソワーズ・サン=ローラン
- ドイツ - カルメラ・カンゼル
- ギリシア - ゾイツァ・コウロウクリ
- グアテマラ - ロゲリア・クルス・マルティネス
- ハワイ - パトリシア・ヴィッサー
- オランダ - ペギー・エルウィヒ
- アイスランド - シグリズル・ソルヴァルドスドッティル
- イスラエル - リナ・イサコフ
- イタリア - マリア・グラツィア・ブッセラ
- 日本 - 児島明子
- 韓国 - オ・ヒョンジュ
- ルクセンブルク - ジョゼ・プンデル
- メキシコ - ミルナ・ガルシア・ダヴィラ
- ノルウェー - ヨルン・クリスチャンセン
- ペルー - グアダルーペ・マリアテギ・ホーキンス
- ポーランド' - スザンナ・ツェンブロフスカ
- スウェーデン - マリー・ルイーズ・エクストローム
- タイ - ソッサイ・ワーニワッタナー
- トルコ - エジェル・オルジャイ
- ウルグアイ - クラウディア・ベルナト
- アメリカ - テリー・ハンティンドン
ノート
[編集]辞退者
[編集]特別賞
[編集]脚注
[編集]参考文献一覧
[編集]- “Miss Universe 1959”. pageantopolis.com. February 7, 2012時点のオリジナルよりアーカイブ。November 19, 2018閲覧。