コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ミコラ・アザロフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ミコラ・アザロフ
Микола Азаров
生年月日 (1947-12-17) 1947年12月17日(77歳)
出生地 ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国 カルーガ
出身校 モスクワ大学
所属政党 地域党
配偶者 リュドムィラ・アザロワ

ウクライナの旗 第14代首相
在任期間 2010年3月11日 - 2014年1月28日
大統領 ヴィクトル・ヤヌコーヴィチ

在任期間 2004年12月7日 – 2004年12月28日
2005年1月5日 - 2005年1月25日
大統領 レオニード・クチマ
ヴィクトル・ユシチェンコ
テンプレートを表示

ミコラ・アザロフウクライナ語: Мико́ла Я́нович Аза́ров1947年12月17日 - )は、ウクライナ政治家、第14代首相(2010年–2014年)。2002年から2005年まで、また2006年から2007年まで第一副首相兼財務相を、また2004年末と2005年初頭の2回にわたって首相代理を務めている。2010年の大統領選挙ヴィクトル・ヤヌコーヴィチが勝利したことに伴い、彼の後任として地域党党首となり、2010年3月に首相に任命された[1][2]

来歴

[編集]

ソビエト連邦ロシア共和国(現ロシア連邦カルーガで誕生。モスクワ大学を卒業し、地質鉱物学で博士号を取得する。1971年にリュドムィラと結婚。1984年ウクライナに転居し以後永住。

政界入り

[編集]

1995年から1997年にかけて、ウクライナ議会の予算委員会の代表を努める。1996年から7年間にわたって州の税務管理長も務めた。レオニード・クチマ大統領の2期の任期の間、非常に緊密な関係を維持した。

政治家というよりむしろテクノクラート(技術官僚)として、2002年11月下旬に発足したヴィクトル・ヤヌコーヴィチ政権で第一副首相兼財務相を拝命する。ヤヌコーヴィチ政権では経済閣僚として会計・税金・年金等制度の改革を牽引し、そして規制緩和を実現させた。また年間GDP成長率が2003年には9.6%、2004年には12.1%という経済成長を達成したほか、資本投資も2003年に31.3%、2004年には28.0%の成長を記録した。

2004年大統領選挙に伴う混乱でヤヌコーヴィチ首相がクチマ大統領より休暇を言い渡された2004年12月7日に首相代理に指名され28日までこれを務め、こののち首相権限を回復したヤヌコーヴィチが政局の行き詰まりから明けて2005年1月5日に内閣総辞職すると、アザロフは再び首相代理に指名され、新たに大統領に就任したヴィクトル・ユシチェンコが24日にユーリヤ・ティモシェンコを首相代理に指名するまでこれを務めた。

その後もアザロフはヤヌコーヴィチの側近として強い政治力を保持し、彼の政党「地域党」に所属する下院議員として活動。2006年8月4日に政治的妥協の産物としてヤヌコーヴィチが再び首相に就任すると、第一副首相兼財務相を再び拝命した。

2010年の大統領選挙ののち同[3月11日、ウクライナ議会は首相にアザロフを指名[3][4]。343議員のうちの242票を獲得した[3]

2014年1月28日、施行されていたデモ規制法に対する国内外の混乱を受け、政治危機の打開を図り、国の結束を保持するためとして、首相の辞任を発表した[5]

文化的、政治的イメージ

[編集]

アザロフはウクライナ語を十分には話せないが[6][7]、2010年3月に政権が発足する際には、ウクライナ語を話すと保障している[7]。2010年3月11日付のイギリスのガーディアン紙では、彼を新政権の中で最もロシア好きな人物であるとしている。同じ記事では、匿名のウクライナ人職員が「彼は非常に退屈であり、大衆受けしない人物だ」と述べている[8]

脚注

[編集]

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]
公職
先代
オレクサンドル・トゥルチノフ
(代行)
ウクライナの旗 ウクライナ首相
第14代:2010 - 2014
次代
セルゲイ・アルブゾフ英語版
(代行)
先代
ヴィクトル・ヤヌコーヴィチ
ウクライナの旗 ウクライナ首相
(代行):2005
次代
ユーリヤ・ティモシェンコ(代行)
先代
ヴィクトル・ヤヌコーヴィチ
ウクライナの旗 ウクライナ首相
(代行):2004
次代
ヴィクトル・ヤヌコーヴィチ
先代
Stanislav Stashevsky (en)
ウクライナの旗 ウクライナ第一副首相
2006 - 2007
次代
オレクサンドル・トゥルチノフ
先代
Viktor Pynzenyk (en)
ウクライナの旗 ウクライナ財務相
2006 - 2007
次代
Viktor Pynzenyk (en)
党職
先代
(創設)
Volodymyr Semynozhenko (en)
地域党党首
2001
2010
次代
ヴィクトル・ヤヌコーヴィチ
Oleksandr Yefremov