マールテン・ファン・クレーフェ
マールテン・ファン・クレーフェ Marten van Cleve | |
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ファン・クレーフェ作「花嫁のベッドの祝福」 | |
生誕 |
1527年ころ アントウェルペン |
死没 |
1581年以前 アントウェルペン |
マールテン・ファン・クレーフェ(Marten van Cleve de Oudere[1]、1527年頃の生まれ、1581年以前に没)は、フランドルの画家である[2][3]。農民の生活を描いた風俗画や風景画を描いた。ピーテル・ブリューゲル(1525/1530-1569)とよく似たスタイルの画家で[2]、同時代の画家の、主題やスタイルに影響を与えたといわれている[4]。
略歴
[編集]アントウェルペンで生まれた。父親のウィレム・ファン・クレーフェ1世(Willem van Cleve)は1518年にアントウェルペンの聖ルカ組合の親方になっていた画家で[5]、兄のヘンドリク・ファン・クレーフェ3世(Hendrick van Cleve III: c.1525-1590/1595)と弟のウィレム・ファン・クレーフェ2世も画家になった[6]。マールテン・ファン・クレーフェは画家になった同名の息子と区別するために年長のマールテン(Marten van Cleve de Oudere)とも呼ばれる。
父親から絵を学んだ後、17世紀初めのカレル・ファン・マンデルの『画家列伝』の記述によれば、当時有力であったフランス・フロリスの弟子になったとされる[5] 。初期のファン・クレーフェの作品にはフロリスのスタイルと共通性が見られるとされる。
ファン・クレーフェは1551年に聖ルカ組合の親方になり、1556年に結婚した。4人の子供が生まれ、4人とも画家になった[5] 。1560年から1576年の間、多くの作品を制作した工房を運営し、組合に登録した5人の弟子がいた。ファン・マンデルはハンス・ヨルダーンス(Hans Jordaens: 1555–1630)も弟子であったとしている[3]。
作品
[編集]-
フランドルの家事 (1655/1660)
美術史美術館 -
良い羊飼い
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婚礼のダンス
-
村の祭り(1591-1561)
エルミタージュ美術館
脚注
[編集]- ^ 名前は: Maarten van Cleef, Maerten van Cleef, Marten van Cleef, Maarten van Cleve, Maerten van Cleve, Martin van Cleveなどとも
- ^ a b Carl Van de Velde. "Marten van Cleve I." Grove Art Online. Oxford Art Online. Oxford University Press. Web. 10 March 2016
- ^ a b Marten van Cleve (I) at The Netherlands Institute for Art History
- ^ Marten van Cleve I (Antwerp c. 1527-before 1581), The Massacre of the Innocents at Christie's
- ^ a b c Frans Jozef Peter Van den Branden, Geschiedenis der Antwerpsche schilderschool, Antwerpen, 1883, p. 294-297
- ^ Carl Van de Velde. "Hendrik van Cleve III." Grove Art Online. Oxford Art Online. Oxford University Press. Web. 5 August 2019.