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マーク・ノールズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
マーク・ノウルズから転送)
マーク・ノールズ
Mark Knowles
マーク・ノールズ
基本情報
フルネーム Mark Samuel Knowles
国籍 バハマの旗 バハマ
出身地 同・ナッソー
生年月日 (1971-09-04) 1971年9月4日(53歳)
身長 190cm
体重 88kg
利き手
バックハンド 片手打ち
ツアー経歴
デビュー年 1992年
引退年 2012年
ツアー通算 55勝
シングルス 0勝
ダブルス 55勝
生涯通算成績 786勝457敗
シングルス 42勝77敗
ダブルス 744勝380敗
生涯獲得賞金 $7,049,710
4大大会最高成績・シングルス
全豪 1回戦(1994・97)
全仏 2回戦(1996)
全英 2回戦(1992・94-96)
全米 2回戦(1996)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 優勝(2002)
全仏 優勝(2007)
全英 準優勝(2002)
全米 優勝(2004)
優勝回数 3(豪1・仏1・米1)
4大大会最高成績・混合ダブルス
全豪 ベスト4(1996・2008)
全仏 準優勝(2002)
全英 優勝(2009)
全米 ベスト4(2007・10)
優勝回数 1(英1)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 96位(1996年6月24日)
ダブルス 1位(2002年6月24日)

マーク・ノールズMark Knowles, 1971年9月4日 - )は、バハマナッソー出身の男子プロテニス選手。ダブルスのスペシャリストとして知られ、長年の間カナダダニエル・ネスターとペアを組んで活躍した。ATPツアーでシングルスの優勝はないが、ダブルスで55勝を挙げた。自己最高ランキングはシングルス96位、ダブルス1位。身長190cm、体重88kg、右利き。

来歴

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バハマ諸島が男子テニス国別対抗戦デビスカップに初参加したのは、1989年のことであった。マーク・ノールズは初参加の時からデビスカップバハマ代表選手として活躍し、2008年までデビスカップ通算41勝32敗 (シングルス23勝25敗、ダブルス18勝7敗) を記録した。1990年から1992年までは学生テニス選手としてカリフォルニア大学ロサンゼルス校に在籍し、1992年からプロテニス選手として活動を始める。

ノールズのダブルス初優勝は、1993年カナダ・マスターズで、パートナーは当時シングルス世界ランキング2位のジム・クーリエ(であった。1995年全豪オープンダニエル・ネスターとペアを組み、初めて4大大会の男子ダブルス決勝に進出したが、ジャレッド・パーマー/リッチー・レネバーグ組に敗れて準優勝になった。それ以来、ノールズはほとんどの大会でネスターとペアを組むことになる。1995年ジャパン・オープン・テニス選手権で優勝しているが、この時はジョナサン・スタークと組んで出場した。しかし1996年の同大会では、リック・リーチと組みながらも、決勝でオーストラリアの強豪ペアのウッディーズに完敗している。1998年はネスターとのペアで、全仏オープン全米オープン準優勝があり、なかなか4大大会ダブルス初優勝に手が届かなかった。

ノールズとネスターがようやく宿願を実現させたのは、2002年全豪オープンであった。ミカエル・ロドラ/ファブリス・サントロ組を7-6, 6-3で破った優勝は、4大大会男子ダブルス初決勝進出から7年後の長い道のりだった。こうしてノールズはバハマに初めてのテニス4大大会タイトルをもたらした選手になった。同年には全仏オープンウィンブルドン選手権でもネスターとのペアで決勝に進出したが、全仏ではエフゲニー・カフェルニコフ/ポール・ハーフース組に、ウィンブルドンではトッド・ウッドブリッジ/ヨナス・ビョルクマン組に敗れて準優勝にとどまる。2003年全豪オープン男子ダブルス決勝では、前年と同じロドラ/サントロ組に敗れ、大会2連覇を逃した。

2004年全米オープンで、ノールズとネスターの組は4大大会ダブルス2勝目を達成する。2007年全仏オープンの男子ダブルスで、ノールズとネスターは5年ぶり3度目の決勝戦に進み、ルーカス・ドロウヒー/パベル・ビズネル組に2-6, 6-3, 6-4の逆転勝利を収めた。これで2人の4大大会ダブルス優勝は3勝となる。2人は2007年の男子ツアー年間最終戦テニス・マスターズ・カップ男子ダブルス部門の優勝を最後に、10年以上に及んだペアの解消を発表した。

ネスターとのペア解消後は、2008年と2009年はマヘシュ・ブパシと主に組んでいた。その後はマーディ・フィッシュグザビエ・マリスと組むこともあった。フィッシュのコーチも務めた。

2009年ウィンブルドン選手権で、ノールズはアンナ=レナ・グローネフェルトと組んで優勝し、初めての4大大会混合ダブルス優勝を決めた。ウィンブルドンでは2002年の男子ダブルス準優勝が自己最高成績であったため、これはノールズにとって初めてのウィンブルドンのタイトルとなった。

シングルスでのノールズは、4大大会では2回戦止まりの成績であるが、ウィンブルドン選手権では4度2回戦に進んでいる。1995年ウィンブルドン選手権では、1回戦でマルセロ・リオス破った後、2回戦で松岡修造に1-6, 4-6, 2-6のスコアで敗れたことがあった。シングルスでは2000年12月のコスタリカ・チャレンジャー1回戦でラズバン・サバウに3-6, 2-6のストレートで敗れたのを最後にATPポイントの付く国際大会からは撤退しており、デビスカップバハマ代表としてもデビスカップ2003アメリカゾーン1回戦、対ペルー戦の1回戦イヴァン・ミランダ戦で4-6, 6-3, 1-6のスコアで途中棄権したのを最後にシングルスからは完全撤退し、2004年以後はダブルスのみに絞って活動した。

ノールズは2012年全米オープンを最後に41歳で現役を引退した[1]

オリンピックのバハマ選手団としては、1992年バルセロナ五輪1996年アトランタ五輪2000年シドニー五輪2004年アテネ五輪2008年北京五輪の5大会連続で出場している。バルセロナ五輪ではロジャー・スミス英語版とのダブルスに出場し、1回戦で第1シードのジョン・フィッツジェラルド/トッド・ウッドブリッジ組に敗退した。アトランタ五輪ではシングルスとダブルスの両方に出場し、シングルスは1回戦でケネス・カールセンに5-7, 3-6のスコアで敗れたが、スミスとのダブルスでゴラン・イワニセビッチ/サシャ・ヒルシュゾン組との2回戦に進出した。シドニー五輪とアテネ五輪ではマーク・マークレイン英語版とのダブルスのみの出場で、シドニー五輪では2回戦で第2シードのアレックス・オブライエン/ジャレッド・パーマー組を6-2, 6-4のスコアで下し、デビッド・アダムズ/ジョン・ラフニー・デ・ヤーガー組との準々決勝まで進んだが、アテネ五輪では1回戦で金メダルを獲得したニコラス・マスー/フェルナンド・ゴンサレス組に5-7, 4-6のストレートで敗れている。北京ではデビン・マリングス英語版と組み1回戦で第1シードのブライアン兄弟に2-6, 1-6で敗れた。

ノールズの五輪5大会連続出場はテニス選手では7大会連続出場のリーンダー・パエス、6大会のダニエル・ネスターに次ぎマヘシュ・ブパシアランチャ・サンチェス・ビカリオビーナス・ウィリアムズと並んで史上3位タイである。

4大大会ダブルス優勝

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  • 全豪オープン 男子ダブルス:1勝(2002年) [同部門準優勝3度:1995年・2003年・2009年]
  • 全仏オープン 男子ダブルス:1勝(2007年) [同部門準優勝2度:1998年・2002年]
  • ウィンブルドン 混合ダブルス:1勝(2009年) [男子ダブルス準優勝1度:2002年]
  • 全米オープン 男子ダブルス:1勝(2004年) [同部門準優勝2度:1998年・2009年]


ダブルス成績

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大会 1991 1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999 2000 2001 2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012 2013 SR W–L
グランドスラム
全豪オープン A A 2R 1R F QF QF 1R 2R 1R 2R W F QF 1R 1R SF SF F A 2R A A 1 / 18 42–17
全仏オープン A A A A 3R 2R 2R F 2R 1R 3R F 3R QF SF 2R W 1R 3R 2R 1R 3R A 1 / 18 39–16
ウィンブルドン A 2R QF 2R SF 3R 3R 3R SF 3R 3R F QF SF QF SF QF 1R QF 1R 1R 1R 1R 0 / 22 45–22
全米オープン A A 1R SF QF 1R A F 1R 1R QF QF SF W 1R 3R QF 3R F 3R 3R 1R A 1 / 19 44–18
Win–Loss 0–0 1–1 4–3 5–3 14–4 6–4 6–3 12–4 5–3 2–4 8–4 19–3 14–4 16–3 7–4 7–4 16–3 6–4 15–4 3–3 3–4 2–3 0–1 3 / 77 171–73
オリンピック
オリンピック NH 1R Not Held 2R Not Held QF Not Held 1R Not Held 1R Not Held A NH 0 / 5 3–5
年間最終戦
ツアーファイナル A A A A RR RR RR F A A A NH SF SF RR F W RR SF A A A A 1 / 11 22–22
マスターズシリーズ
インディアンウェルズ A A A 1R 2R 1R W 2R 2R 1R 1R W QF SF W W 1R QF 2R A QF 1R A 4 / 18 34–14
マイアミ A A 1R F QF SF F SF 2R 2R SF W QF SF SF 1R QF F 1R 1R A 1R A 1 / 19 38–18
モンテカルロ A A A 1R A A A A QF 2R 1R QF 2R SF QF 2R 2R F QF QF A A A 0 / 13 11–13
ローマ A A A 1R 1R 1R W 1R QF 1R 1R QF QF QF QF W SF 2R SF 2R 2R A A 2 / 18 22–16
マドリード A A A 1R 2R 2R QF 2R 1R A 1R W QF W W F 2R F 2R 2R 1R A A 3 / 17 20–14
カナダ A A W SF 2R F 2R QF 2R QF 2R F 2R SF QF SF QF QF W 2R 1R 1R A 2 / 20 32–18
シンシナティ A A 2R A F W A W SF 1R 1R QF SF W SF QF QF SF SF QF 1R A A 3 / 17 32–14
上海 Not Held SF 1R 1R A A 0 / 3 2–3
パリ A A A 2R QF QF QF SF SF A 2R QF SF QF F QF 2R 2R 2R F 1R A A 0 / 17 22–17
ハンブルグ A A A A 1R W 2R QF QF 2R SF QF W QF QF F 2R 2R NME 2 / 14 21–12
Win–Loss 0–0 0–0 6–2 9–7 9–8 15–6 16–5 14–7 9–9 4–7 11–9 26–6 13–8 21–7 20–7 19–7 6–9 12–9 12–8 8–8 3–7 0–3 0–0 17 / 156 234–139
ランキング 534 139 63 30 7 7 19 9 35 48 19 1 8 1 7 5 4 7 5 25 58 127 - 2014: 702, 2015: 1198

脚注

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  1. ^ Fitzgerald, Matt (2012年9月7日). “Mark Knowles: One Door Closes, Another Opens”. atpworldtour.com. ATP Tour, Inc.. 2012年9月12日閲覧。

外部リンク

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