マークス寿子
マークス寿子 Toshiko Marks | |
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誕生 |
志村寿子 1936年3月23日 日本・東京府 |
死没 |
2024年6月15日(88歳没) イギリス・ロンドン |
職業 | エセックス大学講師、秀明大学教授 |
国籍 | 日本→ イギリス |
最終学歴 |
早稲田大学 東京都立大学 (1949-2011)退学 |
活動期間 | 1986年 - 2024年 |
ジャンル | 随筆 |
代表作 |
『大人の国イギリスと子どもの国日本』 『ふにゃふにゃになった日本人 しつけを忘れた父親と甘やかすだけの母親』 『自信のない女がブランド物を持ち歩く』 |
デビュー作 | 『英国貴族になった私』 |
配偶者 | 第2代ブロートンのマークス男爵マイケル・マークス(1976年 - 1985年) |
親族 | 志村正雄(兄) |
マークス 寿子(マークス としこ、英語: Toshiko Marks、1936年(昭和11年)3月23日 - 2024年(令和6年)6月15日[1])は、日本出身のイギリスの学者、評論家。エセックス大学講師や秀明大学教授を務めた。
正式名は「ブロートンのマークス男爵夫人トシコ・マークス閣下(The Right Honourable Toshiko Marks, Baroness Marks of Broughton)」[要出典]。旧名は志村 寿子(しむら としこ)。アメリカ文学者の志村正雄(東京外国語大学名誉教授)は兄。
略歴
[編集]1936年、東京府に生まれる。早稲田大学政治経済学部卒業。旧・東京都立大学大学院法学研究科博士課程単位取得退学。同大学非常勤講師を務めた後、1971年にロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの研究員として渡英する。
1976年、ユダヤ系イギリス人の実業家で連合王国貴族の第2代ブロートンのマークス男爵マイケル・マークス(1920-1998、マークス&スペンサーの共同創業者マイケル・マークスの孫)と結婚し、彼の生涯計5人の妻のうち3番目の妻となった[2][3]。これによって彼女はマークス姓になるとともに「ブロートンのマークス男爵夫人(Baroness Marks of Broughton)」の儀礼称号[4]と英国籍を得た。
マークス男爵とは1985年に協議離婚したが、その後も男爵夫人の儀礼称号を保持している[注釈 1]。研究者としての経歴はエセックス大学講師、同大現代日本研究所主任を経て、八千代国際大学(1998年に秀明大学に改称)教授を務めた。永く日英間を往き来し、英国では「日英タイムズ」を発行し、著作や講演活動などを通じ保守派・親英の論客として活動。
2010年3月、秀明大学を退職した[5]。
著作は日本と英国の文化の比較研究が中心で、経済的には発展したが文化的に未熟な日本の文化を批判的にエッセイ形式で綴った作品が多い。
日英の教育制度を比較した作品に『ひ弱な男とフワフワした女の国日本』、『とんでもない母親と情けない男の国日本』、ブランド物を海外で買いあさる日本女性を描いた作品に『自信のない女がブランド物を持ち歩く』などがある。
2024年6月15日、ロンドンの自宅で死去[1]。88歳没。
評価
[編集]「日本人は英国に学ぶべき」とする論調の本が多いが、マークスに対する批判[6][7]も若干ではあるが存在する。
著書一覧
[編集]- 『英国貴族になった私』草思社、1986年。
- 『英国貴族と結婚した私』中公文庫 (上記改題[注釈 2])、1995年9月。
- 『大人の国イギリスと子どもの国日本』草思社、1992年7月。
- 『ゆとりの国イギリスと成金の国日本』草思社、1993年。
- 『イギリス歳時記 粋な話無粋な話 A Year of British life & Events』講談社、1994年。
- 『イギリス気ままカレンダー』中公文庫、1998年5月。
- 『男たちよ 全面降伏か』草思社、1994年。
- 『女の身勝手男の出番』中公文庫、1996年11月。
- 『ゆりかごから墓場まで」の夢醒めて 私が体験した英国の福祉、老人問題』中央公論社、1995年。
- 『爆弾的英語教育改革論』草思社、1995年。
- 『戦勝国イギリスへ 日本の言い分』草思社、1996年。 のち中公文庫
- 『イギリス式 おしゃれな生き方』中公文庫、1997年。
- 『ひ弱な男とフワフワした女の国日本』草思社、1997年8月。
- 『イギリスが教えてくれた大人のおしゃれ』大和書房、1998年。
- 『生まれ変わっても女がいい国って、ホンと?』清流出版、1999年。 のち朝日文庫
- 『とんでもない母親と情けない男の国日本』草思社、1999年。
- 『親に頼らない生き方 大人を超えて世界へはばたこう』ポプラ社、2000年。
- 『ふにゃふにゃになった日本人 しつけを忘れた父親と甘やかすだけの母親』草思社、2000年。
- 『本物の考える力生きる力勉強法』三笠書房、2002年7月。
- 『不安な国日本 福祉の国イギリスから見ると』光文社、2002年。
- 『自信のない女がブランド物を持ち歩く』草思社、2002年。
- 『本当の英語力をつける本』PHP研究所、2003年7月。
- 『マークス寿子の英語の王道-始めの一歩』草思社、2005年。
- 『日本はなぜここまで壊れたのか』草思社、2006年。
- 『盛りを過ぎてもへこたれない国イギリスに学べ』草思社、2007年11月。
- 『総崩れのイギリスそれでも踏ん張るイギリス人』草思社、2009年12月。
- 『行儀の悪い人生』中央公論新社 こころを見つめる 2013年
共著
[編集]翻訳
[編集]- ジョー・キタ『「8つの知恵」ノート 百人の父から息子へ』三笠書房、2001年10月。
関連項目
[編集]両名共、やはり“外国と日本、住んでみたら日本の勝ち”的な著書を上梓している
注釈
[編集]- ^ 寿子自身はマークス男爵との間に子供に恵まれず、夫と第一番目の妻アン・キャサリン・ピントとの間に設けた長男のサイモン・リチャード・マークス(1950-)が爵位を襲爵したため、寿子の血統は英国貴族の地位を継承してはいない。しかしながら英国王室の慣習に基づき現在、他の離婚後の妻たちと同じように身分は平民ではあるが称号として終生「男爵夫人」を名乗ることは許され、それに見合った礼遇を受けている。詳しい仕組みは『儀礼称号』の項を参照のこと。
- ^ 英国貴族と結婚したとしても、本人が襲爵もしくは自らの功績により女王より受爵しない限り貴族になれるわけではないが「貴族夫人」としての礼遇を受けることは出来る。『英国貴族になった私』は後『英国貴族と結婚した私』に改題されており、改題後の表題のほうが寿子の立場を適確に表現している。
出典
[編集]- ^ a b “マークス寿子さん死去 英国拠点に日本批評”. 産経新聞. 2024年6月18日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “Michael Marks, 2nd Baron Marks of Broughton” (英語). thepeerage.com. 2014年12月1日閲覧。
- ^ “Obituary: Lord Marks of Broughton”. インデペンデント. (26 March 2015) 2015年3月5日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “Toshiko Shimura” (英語). thepeerage.com. 2014年12月1日閲覧。
- ^ “設置に係る設置計画履行状況報告書秀明大学 学校教師学部”. 秀明学園 (2010年5月1日). 2010年12月17日閲覧。
- ^ 林信吾『イギリス・シンドローム-私はいかにして「反・イギリス真理教徒」となったか』
- ^ 小田嶋隆1998-02「マークス寿子 出戻り「英国貴族」はそんなにお上品か? (特別企画 怪しげな「言説の流布」に警鐘乱打 この20人を大論破!)」『諸君』30(2), 237-241.