マロネイア
マロネイア Μαρώνεια | |
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位置 | |
行政 | |
国 | ギリシャ |
地方 | 東マケドニア・トラキア |
県 | ロドピ県 |
ディモス | マロニア=サペス |
村 | マロネイア |
地理 | |
面積 | |
村域 | 287.2 km2 |
人口 | |
人口 | (2011年現在) |
村域 | 6,350人 |
その他 | |
等時帯 | EET (UTC+2) |
夏時間 | EEST (UTC+3) |
マロネイア(古称:マローネイア、ギリシア語: Μαρώνεια, Maroneia)は、ギリシャのロドペー県の地方自治体。人口は7644人(2001年現在)。自治体の中心はXylagani。
歴史
[編集]伝説では、ディオニューソスの子[1]、またはオシーリスの連れである[2]マローンによって建設されたと言われている。一方、偽スキュムノス(Pseudo-Scymnus)は、紀元前6世紀の初期にキオスが建設したと言っている[3]。大プリニウスによると古代の名前は「Ortagures」だったという[4]。アギオス・ゲオルギスの丘に位置し、考古学的な調査では年代はかなり古く、純粋なトラーキア人都市と見ている。
ホメーロスは『オデュッセイア』の言及では、マローネイアはイスマロス(Ismara)の近くとされている[5]が、マローネイアをホメーロスのイスマロスと同一視する研究者もいる[6]。アポローンの司祭であったマローンはオデュッセウスに金銀とともにワインを送った。古代ギリシア・古代ローマ時代には、マローネイアはワインの生産で有名だった。このワインはいたるところでもてはやされた。蜜の臭いがしたと言われ[7]、20倍以上の水で割ることもできた[8][9]。マローネイアの人々はディオニューソスを崇拝し、有名なディオニューソスの聖地だったことが、現在もまだ見ることができる礎のみならず、町のコインからもわかる。
紀元前200年に、ピリッポス5世に攻められ、大勢の都市の住民たちが虐殺された[10][11]。共和政ローマはマローネイアをペルガモン王アッタロス1世に与えたが、すぐにそれを取り消し、マローネイアは自由都市であると宣言した[12]。
脚注
[編集]- ^ エウリピデス『キュクロープス』v. 100, 141
- ^ シケリアのディオドロス、i. 20
- ^ 偽スキュムノス 676 ff
- ^ 大プリニウス iv. 11. s. 18
- ^ ホメーロス『オデュッセイア』第9歌196-211
- ^ Isaac, B., (1986), The Greek Settlements in Thrace Until the Macedonian Conquest, page 113. BRILL.
- ^ ノンノス i. 12, xvii. 6, xix. 11
- ^ ホメーロス『オデュッセイア』第9歌209
- ^ 大プリニウス xiv. 4. s. 6
- ^ ティトゥス・リウィウス xxxi. 16, xxxix. 24
- ^ ポリュビオス xxii. 6, 13, xxiii. 11, 13
- ^ ポリュビオス xxx. 3
参考文献
[編集]- Durando, Furio, Greece, a guide to the archaeological sites, 2004.
- "Maronia". Catholic Encyclopedia. (1913). New York: Robert Appleton Company.
- Smith, William, (1857), Dictionary of Greek and Roman Geography.