コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

マルーシャ・チュラーイ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
マルーシャ・チュラーイ
Маруся Чурай

両親 ホルディーイ・チュラーイ
出生 1625年
生地 ポルターヴァウクライナ
死去 1653年(28歳)
没地 不明

マルーシャ・チュラーイウクライナ語Маруся Чурай1625年? - 1653年)は、フメリニツキーの乱時代のウクライナ歌手詩人である。多数のウクライナ民謡ウクライナ語版の作者とされる。「ウクライナサッフォー」とも呼ばれる。マリヤ・チュラーイマルーシャ・チュライーヴナとも。

概要

[編集]

伝承によれば、マルーシャ・チュラーイは1625年[1]ポルターヴァ町に生まれた。父のホルディーイ・チュラーイはコサックの百人隊隊長であったが、1638年ポーランド・リトアニア連合に対するコサックの叛乱に参加して捕虜となり、敵によってワルシャワで火刑された。

マルーシャが幼い頃より非常に美しかったので、男性からのプロポーズは後を絶たなかった。若いコサック、イヴァーン・イースクラはマルーシャのことを熱愛していたが、彼女に振られっぱなしであった。マルーシャ自身はポルターヴァのコサック旗手官の息子、フルィーツィ・ボブレーンコ[2]を愛し、後と密かに婚約した。

1648年にフメリニツキーの乱が勃発すると、フルィーツィはコサック軍とともに出陣し、戦いから帰ったら挙式すると約束した。マルーシャは彼を4年間を待ちつけた。しかし、4年後に帰陣したフルィーツィはマルーシャのことを忘れ、裕福なコサックの息女ハンナと恋に落ちた。裏切られたマルーシャは自殺をはかり、現地の呪い師を訪れて毒薬を買った。帰宅したところ、突然フルィーツィが現れ、マルーシャと会話し始めた。話途中で彼はマルーシャの薬をうっかり飲んで毒死した。

1652年の夏にポルターヴァ町の裁判は、殺人の疑いによりマルーシャに死刑の判決を言いわたした[3]。しかし、死刑実行の前にイヴァーン・イースクラがコサックの首領ボフダン・フメリニツキーからの赦免状を持参し、マルーシャは「父の功労、ならび自作の歌がために」恩赦された。

罪滅ぼしのためにマルーシャはキエフの聖地を行脚した[4]が、自分で恋人を殺した悲しみのあまりに1653年に28歳で死去した。

マルーシャ・チュラーイはウクライナ民謡の発展に大きく貢献した人物とされる。彼女の歌と生涯を描いた文学作品はウクライナの中学校高等学校などで勉強の対象となっている。

著名な歌

[編集]
『風が吹く』 Віють вітриウクライナ語版
『行かないでよ、フルィーツィさん』 Ой, не ходи, Грицюウクライナ語版
『フルィーツィさん、フルィーツィさん、働けば』 Грицю, Грицю, до роботиウクライナ語版
『岸に鳩がいる』 Сидить голуб на березі
『コサックは口笛を吹いて』 Засвистали козаченькиウクライナ語版
『山から車が駆け落ちた』 Котилися вози з гори
『恋人は山を歩いた』 Ішов милий горонькою

人物像

[編集]
マルーシャ・チュラーイの記念碑 (ポルタヴァ)ウクライナ語版

関連記事

[編集]

参考文献

[編集]
  • (日本語)『ポーランド・ウクライナ・バルト史 』/ 伊東孝之,井内敏夫,中井和夫. 山川出版社, 1998. (新版世界各国史 ; 20)
  • (日本語) 『物語ウクライナの歴史』/ 黒川祐次. 中央公論新社. 2002.
  • (ウクライナ語) Костенко, Л. Маруся Чурай / Історичний роман у віршах. — Київ, 1979.
  • (ロシア語) Шаховский А. Маруся, малороссийская Сафо // Сто русских литераторов. Т.1. — СПб., 1839. — С. 271—273
  • (ロシア語) Шкляревский, А. Маруся Чурай // Пчела. — СПб., 1877 г., № 45, С. 711—712.

脚注

[編集]
  1. ^ 生年は1628年、1629年の異説もある。
  2. ^ 異説によれば、フルィーツィ・オスターペンコ
  3. ^ この判決書はウクライナ詩人イヴァン・ホメンコ(1919年‐1968年) により17世紀のコサック古文書から偶然に発見された。現在、マルーシャ・チュラーイにかかわる唯一のフメリニツキーの乱時代の史料である。
  4. ^ 異説によれば、修道女になったという。

外部リンク

[編集]