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マルッティ・アホ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
マルッティ・ヨハンエス・アホ
Martti Johannes Aho
生誕 1896年3月19日
フィンランド大公国
ケミンマー
死没 1968年6月21日
フィンランド
コッコラ
所属組織 フィンランド国防軍: 陸軍
最終階級 陸軍大佐
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マルッティ・ヨハンエス・アホ(フィンランド語: Martti Johannes Aho1896年3月19日 - 1968年6月21日)はフィンランドの軍人。最終階級は陸軍大佐。マンネルハイム十字章二級を2度受章している。

経歴

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アホは1918年フィンランド内戦に従軍し、戦間期には国境警備隊中隊長を務めた。

冬戦争が勃発するとアホは第8独立大隊フィンランド語版の司令官に就任し、ソ連軍と交戦した。冬戦争の間に彼は2度負傷している。

継続戦争では第11師団フィンランド語版第50歩兵連隊フィンランド語版の連隊長に就き、ペトロザヴォーツクカレリアへの進軍でソ連軍に対し大きな成果を上げた。これにより1942年3月1日にマンネルハイム十字章を受章している。その後、彼の連隊はスヴィリ川方面へ配属された。

1944年6月23日には大佐へ昇進。ヴィボルグ-ペトロザヴォーツク攻勢が起こると、アホの連隊はカレリア方面へ異動し、6月27日からタリ=イハンタラの戦いに参戦した。直後の6月29日に彼は負傷している。

ラップランド戦争ではアーロ・パヤリ少将麾下の連隊として従軍。トルニオの戦いに参戦した。1944年10月16日、アホは再びマンネルハイム十字章を受章した。

1968年6月21日に死去。

外部リンク

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