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マルセロ・バルボア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
マルセロ・バルボア
名前
ラテン文字 Marcelo Balboa
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 (1967-08-08) 1967年8月8日(57歳)
出身地 シカゴ
身長 185cm
選手情報
ポジション DF
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1987-1989 アメリカ合衆国の旗 サンディエゴ・ノーマッズ  ? (8)
1990-1991 アメリカ合衆国の旗 サンフランシスコベイ・ブラックホークス 15 (7)
1992 アメリカ合衆国の旗 コロラド・フォクセス 15 (4)
1994-1995 メキシコの旗 クルブ・レオン 53 (3)
1996-2001 アメリカ合衆国の旗 コロラド・ラピッズ 151 (24)
2002 アメリカ合衆国の旗 メトロスターズ 1 (0)
代表歴
1988-2000 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 128 (13)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

マルセロ・バルボア(Marcelo Balboa, 1967年8月8日 - )は、アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ出身の元サッカー選手であり、元アメリカ代表、現役時代のポジションはセンターバック

1990年代のアメリカサッカー界を代表するディフェンダーであり、アメリカ代表として3度のワールドカップ本戦23名に名を連ね、代表の試合ではキャプテンも務めたこともあった。アメリカサッカー殿堂英語版の一員にも選ばれている。

引退後は、ESPNABCなどのコメンテーターなどの仕事に就き、現在はコロラド州のモナーク高校でサッカーを指導している。[1]

経歴

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高校・大学

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アルゼンチンからの移民家系であるバルボアは、カリフォルニア州セリトスで育った。ユース時代の成績としては、1986年のマクガイアカップ(U-19の国内大会)で優勝したことである。[2] バルボアの父、ルイスはかつて、アルゼンチンでプロサッカー選手をしており、北米サッカーリーグシカゴ・マスタングス英語版でプレーする傍ら、彼を指導していた。

1985年にセリトス高校英語版を卒業し、それからの2年間はコミュニティカレッジセリトスカレッジ英語版に籍を置き、アメリカンフットボールプレースキッカーをもこなし、サッカーではカリフォルニア南海岸地域の選抜選手に2度選ばれている、二足のわらじを履く学生生活だった。セリトスカレッジではバルボアの背番号「3」は永久欠番となっている。[3]

1988年、サンディエゴ州立大学編入し、同年には同大学のファーストチーム、翌年には全米のセカンドチームに選ばれ、活躍した。.[4]

プロキャリア

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1987年から1989年まで、バルボアは大学のオフシーズンを利用して、ウエスタンサッカーリーグ英語版のプロクラブであるサンディエゴ・ノーマッド英語版アマチュア選手として契約を交わした。1988年にはリーグMVPを受賞している。[5] その後、1990年にアメリカンプロサッカーリーグ英語版(APSL)のサンフランシスコベイ・ブラックホークス英語版でプロ選手としてのキャリアをスタートさせ[5]、1992年にコロラド・フォクセス英語版に移籍した。[6] 1995年から翌年にかけては、メキシコクルブ・レオンで活躍し、1996年、メジャーリーグサッカーコロラド・ラピッズと契約した。バルボアはラピッズでの6シーズンに渡り、監督が変わっても、常にリーダーシップを発揮し続けた。その間、1990年、1994年、1998年の3度のワールドカップにもアメリカ代表として本戦に参加した。2002年、メトロスターズトレードとなったが、怪我もあり、出場はわずかに5分に留まり、そのシーズン限りで引退した。

アメリカでのキャリアの中で、2005年にはベストイレブンに選ばれている。

彼の選手時代を象徴するプレーとして、1994年の自国開催のワールドカップコロンビアに勝利した試合でのバイシクルシュートが挙げられる。また、ラピッズ時代の2000年、コロンバス・クルーと対戦した時のバイシクルシュートは、同シーズンのMLSベストゴールになった。

代表

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バルボアはディフェンスの要として1990年、1994年のワールドカップでプレーした。初の代表試合は1988年のグアテマラ戦。代表での実績を評価され、1992年と1994年のUSサッカー・アスリート・オブ・ザ・イヤーに選ばれている。1995年、バルボアはアメリカの代表選手として100キャップという壁を越える最初の選手になった。

代表戦績

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代表チーム 出場 先発 ゴール アシスト
アメリカ代表
1988 7 6 0 0
1989 4 4 0 0
1990 15 10 1 0
1991 15 15 2 1
1992 21 21 3 1
1993 10 9 0 0
1994 24 22 4 0
1995 6 6 1 0
1996 8 8 1 1
1997 10 10 0 1
1998 4 3 1 0
1999 2 2 0 0
2000 1 1 0 0
Total 127 117 13 4

引退後

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クラブフロント

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2004年のシーズン以降、彼の古巣である、コロラド・ラピッズ理事に着任した。

ブロードキャスター

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2003年、ABCのカバーするMLSオールスターゲームと、MLSカップのピッチサイドリポーターとしてデビューし、翌年には、ABCとESPNTVのレギュラーアナウンサーとなり、アメリカ代表戦を実況した。近年では、2006年のワールドカップで全米ナンバーワンチームとして、野球中継で名高いデーブ・オブライエン英語版と組んで仕事をした。[8]

2007年にはラジオにも進出し、デンバーに局を置く、マイル・ハイ・スポーツ・ラジオの「From The Pitch」をスタートさせた。[9] 翌年、2008年の北京オリンピックのサッカー中継を担当したNBCスポーツ解説者を引き受けた。[10] 彼はまた、スペイン語放送局であるテレフツラ英語版の番組「Contacto Deportivo英語版」のゲスト解説者を現在も続けている。

2014年のブラジルワールドカップでもスペイン語局、ウニビシオンでアメリカ代表戦のコメンテーターを務めた。

コーチ業

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2012年より、モナーク高校がバルボアを男子サッカーチームの監督として招聘している。[11]

脚注

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外部リンク

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