マルシリー=シュル=ウール
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マルシリー=シュル=ウール | |
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行政 | |
国 | フランス |
地域圏 (Région) | ノルマンディー地域圏 |
県 (département) | ウール県 |
郡 (arrondissement) | エヴルー郡 |
小郡 (canton) | サンタンドレ=ド=ルール小郡 |
INSEEコード | 27391 |
郵便番号 | 27810 |
市長(任期) |
クロード・ロワユー (2014年 - 2020年) |
自治体間連合 (fr) | fr:Évreux Portes de Normandie |
人口動態 | |
人口 |
1566人 (2015年) |
人口密度 | 101人/km2 |
住民の呼称 | Marcilluciens |
地理 | |
座標 | 北緯48度49分38秒 東経1度20分55秒 / 北緯48.8272度 東経1.3485度座標: 北緯48度49分38秒 東経1度20分55秒 / 北緯48.8272度 東経1.3485度 |
標高 |
最低:65m 最高:141m |
面積 | 15.48km2 |
マルシリー=シュル=ウール (Marcilly-sur-Eure)は、フランス、ノルマンディー地域圏、ウール県のコミューン。
地理
[編集]その名が示す通り、マルシリーはウール川の近くにある。ドルーからサンタンドレ=ド=ルールへ向かう道、ユダンからドルーの森を通過してダンヴィルへと向かう道が、マルシリーで交差する。
マルシリーはノルマンディーの一部であるが、その位置は行政的にも地理的にも特殊である。3つの異なる地域圏に属する県、ウール県、イヴリーヌ県、ウール=エ=ロワール県と接しているのである。
由来
[編集]地名は12世紀にMarcilleiumのつづりであったことが証明されている[1]。
歴史
[編集]1137年前後、ギヨーム・ド・マルシリーとその父フルクは、聖母マリアと洗礼者ジャンを守護聖人とする、シトー会派のブルイユ=ブノワ修道院を創建した。
マルシリー家の後、エストゥートヴィル家、アレグル家、フェイ家、ディエル家と領主が変わった。アントワーヌ・デュ・ボスクが最後の村の領主であった。
1140年、ブルイユの修道院を離れた修道士たちは、ラ・トラップにおいてノートル・ダム修道院を建設した。
人口統計
[編集]1962年 | 1968年 | 1975年 | 1982年 | 1990年 | 1999年 | 2005年 | 2015年 |
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624 | 565 | 688 | 692 | 1244 | 1229 | 1425 | 1566 |
参照元:1962年から1999年までは複数コミューンに住所登録をする者の重複分を除いたもの。それ以降は当該コミューンの人口統計によるもの。1999年までEHESS/Cassini[2]、2006年以降INSEE[3][4]。
史跡
[編集]-
サン・ピエール教会
-
ブルイユ=ブノワ修道院付属協会
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シャトー
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役場
脚注
[編集]- ^ Ernest Nègre - Toponymie générale de la France - Volume 1 - Page 568
- ^ http://cassini.ehess.fr/cassini/fr/html/fiche.php?select_resultat=21082
- ^ https://www.insee.fr/fr/statistiques/3293086?geo=COM-27391
- ^ http://www.insee.fr
- ^ http://www.culture.gouv.fr/public/mistral/merimee_fr?ACTION=CHERCHER&FIELD_1=REF&VALUE_1=PA00099640