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マルコ・ポーロ 大冒険

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
マルコ・ポーロ 大冒険
La fabuleuse aventure de Marco Polo (L'echiquier de Dieu)
監督 ドニス・ド・ラ・パテリエール
共同監督
ノエル・ハワード
ラウール・レヴィ
脚本 ジャン=ポール・ラプノー
ジャック・レミー
ラウール・レヴィ
ドニス・ド・ラ・パテリエール
製作総指揮 ラウール・レヴィ
出演者 ホルスト・ブッフホルツ
アンソニー・クイン
オマー・シャリフ
オーソン・ウェルズ
音楽 ジョルジュ・ガルヴァランツ
主題歌 ジェリー・ヴェイル
撮影 アルマン・ティラール
クロード・ルノワール
ヴラディミール・イヴァノフ
編集 ノエル・バランシ
ジャクリーヌ・ティエドー
製作会社 アヴァラ・フィルム
イタラフ
ITTAC
プロディ・チネマトグラフィカ
ソシエテ・ヌーヴェル・ド・シネマトグラフィ(SNC)
配給 日本の旗 MGM
公開 フランスの旗 1965年8月6日
日本の旗 1966年10月15日
上映時間 フランスの旗 112分
アメリカ合衆国の旗 100分
日本の旗 110分
製作国 フランスの旗 フランス
イタリアの旗 イタリア
ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国
アフガニスタン王国の旗 アフガニスタン
アラブ連合共和国の旗 エジプト
言語 フランス語
イタリア語
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マルコ・ポーロ 大冒険』(マルコ・ポーロ だいぼうけん、: La fabuleuse aventure de Marco Polo (L'echiquier de Dieu) 「マルコ・ポーロの素晴らしい冒険 (神のチェス盤)」の意)は、1962年製作開始、1965年公開、ドニス・ド・ラ・パテリエールラウール・レヴィノエル・ハワード共同監督による、フランスイタリアユーゴスラヴィアアフガニスタン合作の長篇劇映画である。

概要

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1956年、ロジェ・ヴァディム監督の『素直な悪女』をプロデュースし、ヴァディムの妻ブリジット・バルドーを一躍スターダムに送り込んだ、アメリカ帰りの若手プロデューサー、ラウール・レヴィが、1962年、巨匠クリスチャン=ジャックを監督に、アラン・ドロンを主演に迎え、オールスターキャストで製作に着手したのが、本作である。当初は『マルコ・ポーロ』というタイトルであった。

製作過程で混乱が起き、監督・主演ともに降板、監督は中堅のドニス・ド・ラ・パテリエール、主演は『荒野の七人』(1960年)でチコ役を演じたホルスト・ブッフホルツに交代した。さらに、キング・ヴィダー監督の『ソロモンとシバの女王』(1959年)、デイヴィッド・リーン監督の『アラビアのロレンス』(1962年)や、MGMが手がけたニコラス・レイ監督の超大作『北京の55日』(1963年)などの長期海外ロケーション、歴史大作のB班監督で腕を振るっていたノエル・ハワードを共同監督に招いて再出発した。一部、レヴィ本人が演出に乗り出すという幕もありながら、ようやく完成、1965年8月6日、フランスで公開された。

興行的には惨敗で、レヴィは大きな負債を背負い、自らのイエナ・プロデュクションは倒産に追い込まれた。本作の公開までの長い期間を利用し、レヴィは本格的な監督作『二人の殺し屋』を用意し、本作の公開のわずか5日後に公開している。本作を最後に、撮影監督アルマン・ティラールとは決裂し、『二人の殺し屋』以降は、ラウール・クタールを起用した。

ストーリー

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13世紀、ヴェネツィア共和国(現在のイタリア・ヴェネツィア)。商業が盛んな同地では、ニコロ(マッシモ・ジロッティ)とマッテオ(ミカ・オルロヴィック)のポーロ兄弟はよく知られていた。賢人アッケルマン(オーソン・ウェルズ)の指導で学んでいた若きマルコ(ホルスト・ブッフホルツ)は、目下勉強中であった。

モンゴル帝国皇帝のクビライ(アンソニー・クイン)からローマの教皇への親書を携えて、マルコの父ニコロが旅から帰ってきた。ニコロの息子のマルコが、教皇からの返書を届ける役を仰せつかった。

砂漠や海や高原を越え、マルコが果敢に進んでいくが、行程があまりに困難で、途中で多くが脱落し、とうとうマルコひとりになった。「砂漠の風」ことシェーク・アッラ・フー(オマー・シャリフ)やロシア南部の女(エルザ・マルティネリ)らに出会う。ついにモンゴル帝国の中心部に近づいたマルコは、凶暴なナヤム大公(ロベール・オッセン)に阻まれた。

皇帝クビライが中国全域から花嫁を選ぶ、とのことで、若く美しい姫たちが、首都への旅をしていた。マルコは、ゴガティーン姫(リン・スー・ムーン)と出会い、姫のおかげで無事、皇帝に謁見できることができた。

マルコが、ヴェネツィアに帰ってきたときには、すでに25年が経過していた。17年間も中国に滞在し、広く世界を見聞し、それが『東方見聞録』という書物として花開いた。

キャスト

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※括弧内は日本語吹替(初回放送1975年9月28日『日曜洋画劇場』)

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スタッフ・作品データ

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外部リンク

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