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マルゲリータ (政党)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
マルゲリータ党から転送)
イタリアの旗 イタリア政党
マルゲリータ・民主主義とは自由
Democrazia è Libertà - La Margherita(DL)
成立年月日 2002年3月24日
解散年月日 2007年10月27日
解散理由 新党結成のため
後継政党 民主党民主連合
政治的思想・立場 中道主義[1]
社会自由主義
キリスト教左派キリスト教民主主義
機関紙 エウローパ
シンボル マルゲリータ党章
国際組織 欧州民主党
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2004年の欧州議会選挙でキャンペーンをする。(ミラノにて)

マルゲリータ・民主主義とは自由(マルゲリータ・みんしゅしゅぎとはじゆう、イタリア語: Democrazia è Libertà - La Margherita, "DL")は、かつて存在したイタリア政党である。「マルゲリータ」はイタリア語でヒナゲシを意味する。

概要

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2000年、次期総選挙に向けて与党中道左派連合「オリーブの木」内の旧・キリスト教民主主義出身勢力を中心に左翼勢力の影響力を抑え、保守中道右派勢力への浸透を図るため、連合内連合を目指す動きが起こった。

キリスト教左派政治勢力は、ローマ市長であったフランチェスコ・ルテッリを代表とする政党連合「マルゲリータ」を発足させた。ルテッリは「オリーブの木」最大政党・左翼民主主義者(DS)の支持を受け「オリーブの木」の首相候補となった。しかし2001年総選挙ではシルヴィオ・ベルルスコーニに率いる中道右派連合「自由の家」に敗北した。

2002年、下野をきっかけに「マルゲリータ」所属政党は中道勢力の再編成を目指してイタリア人民党(PPI)、民主主義者欧州民主連合、イタリア刷新(RI)が合流、新党「マルゲリータ」を結成した。

2007年民主党結成に伴い解散した。

理念

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マルゲリータの党首は元ローマ市長のフランチェスコ・ルテッリであり、2001年の総選挙においても首相候補として選挙に臨んだ。

彼らは中道リベラル路線であり、オリーブの木の参加政党である。また欧州議会において、民主党は欧州自由民主改革党 (ELDR) に、イタリア人民党は欧州人民党 (EPP) にそれぞれ加盟していた。2004年の欧州議会選挙後、統合された両党は ELDR と EPP のどちらにも加わらず、フランスUDFなどと共に欧州民主党 (EDP) を結成した。欧州民主党はさらに欧州自由民主連盟を結成した。

派閥

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マルゲリータ党内には2つの主流派の派閥があった。

ルテッリ派(Rutelliani
イタリア人民党の中核メンバー。フランコ・マリーニ、チリアーコ・デ・ミータダリオ・フランチェスキーニ
ルテッリ自身のグループ。パオロ・ジェンティリオーニ、ロベルト・ジャッケッティ、エルメテ・レアラッチ、ジャンニ・ベルネッティなど(急進派、緑の党、民主党それぞれのリーダーについてきた者が多い)
プローディ派(Prodiani
民主主義者の中核メンバー。アルトゥロ・パリシ、マリーナ・マジステッリ、エンゾ・ビアンコ、ウィレル・ボルドン、アントニオ・マッカニコら
イタリア人民党のメンバーのプローディ支持者。ピエルルイジ・カスタニェッティ、ロージー・ビンディエンリコ・レッタ

ルテッリ派はより社会的に保守的でカトリック志向であり、世俗主義でなければプローディの人気に頼る手法は大きな例外となりそうだが、アルトゥロ・パリシの派はよりリベラルであった。

出身政党別のメンバー

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キリスト教民主主義
自由党
共和党
  • エンゾ・ビアンコ(元内相)
  • アントニオ・マッカニコ
  • エリオ・ロスターニョ
社会党
  • ティチアーノ・トレウ(元労働相)
  • エンリコ・マンカ
  • ピエルルイジ・マンティーニ
緑の党
急進党
  • フランチェスコ・ルテッリ(1980年代の党首)
  • ロベルト・ジャケッティ
共産党

脚注

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