マルグリット・ド・ブルゴーニュ (1374-1441)
マルグリット・ド・ブルゴーニュ Marguerite de Bourgogne | |
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称号 | バイエルン公妃 |
出生 |
1374年10月16日 ブルゴーニュ公国、モンバール |
死去 |
1441年3月8日(66歳没) エノー伯領、ル・ケノワ |
配偶者 | バイエルン公ヴィルヘルム2世 |
子女 | ジャクリーヌ |
家名 | ヴァロワ=ブルゴーニュ家 |
父親 | ブルゴーニュ公フィリップ2世 |
母親 | フランドル女伯マルグリット3世 |
マルグリット・ド・ブルゴーニュ(Marguerite de Bourgogne, 1374年10月16日 - 1441年3月8日)は、ブルゴーニュ公フィリップ・ル・アルディとその妻のフランドル女伯マルグリット3世の間の長女で、バイエルン公ヴィルヘルム2世の妻[1]。
生涯
[編集]ブルゴーニュ公爵夫妻の第3子、長女として生まれた。兄のジャン・サン・プールはブルゴーニュ公、次弟アントワーヌはブラバント公、末弟フィリップはヌヴェール伯およびルテル伯である。妹カトリーヌはオーストリア公レオポルト4世の妻、別の妹マリーはサヴォイア伯アメデオ8世(対立教皇フェリクス5世)の妻となった。
1385年4月12日にカンブレーにおいて、バイエルン=シュトラウビンク公アルブレヒト1世の長男ヴィルヘルム(2世)と結婚した。ヴィルヘルムはエノー・ホラント・ゼーラントの3つの伯爵領の相続者であった。マルグリットの兄ジャン・サン・プールとヴィルヘルムの姉マルガレーテも一緒に結婚式を挙げた。このカンブレー二重結婚は、後にブルゴーニュ公爵家がエノー、ホラント、ゼーラントの3伯爵領を自領に組み込むための布石となった。
マルグリットは夫ヴィルヘルムの領国経営に深く関与した。ヴィルヘルムはホラント伯領で暮らすのを好んでエノーには滅多に姿を現さなかったため、妻であるマルグリットがエノー伯領の摂政を務めていた[2] 。公爵夫妻は結婚後16年目に一人娘ジャクリーヌ(1401年 - 1436年)に恵まれた。1410年以降、マルグリットの政治的地位はより高まり、いくつかの都市や城が彼女の私領(封土)となった。
1417年の夫の死後も、娘ジャクリーヌが相続した3伯爵領で一定の政治的役割を果たした。隠居所としてル・ケノワの城に住むのを好み、1441年にこの城で没した。
脚注
[編集]- ^ Lundy, Darryl. “The Peerage: Marguerite de Bourgogne”. 16 December 2009閲覧。
- ^ “Margaret of Burgundy”. Inghist.nl (2012年4月15日). 2012年8月18日閲覧。