マルク・レイゼン
マルク・オシポヴィチ・レイゼン | |
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レイゼン(左)と友人(1915年) | |
基本情報 | |
生誕 | 1895年7月3日 |
出身地 | ロシア帝国、エカテリノスラフ県ザイツェヴォ |
死没 | 1992年11月25日(97歳没) |
学歴 | ハリコフ音楽院 |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | 声楽家(バス) |
マルク・オシポヴィチ・レイゼン(ロシア語: Марк Осипович Рейзен, ラテン文字転写: Mark Osipovich Reizen、1895年7月3日(ユリウス暦6月21日) ザイツェヴォ - 1992年11月25日 モスクワ)はソビエト連邦のオペラ歌手(バス)。ボリショイ劇場ソリスト、ソ連人民芸術家(1937年授与)、スターリン賞受賞者。
概要
[編集]ロシア帝国エカテリノスラフ県ザイツェヴォ(現ウクライナ、ドネツィク州ホルリウカ)のユダヤ人家庭に生まれる。第一次世界大戦では武勲を立て、聖ゲオルギー十字勲章を授与されている。1917年から1918年にかけてハリコフ音楽院でフェデリコ・ブガメッリに声楽を学び、1921年にハリコフ歌劇場のソリストとなる。その後は、1925年から1930年までレニングラード・オペラ・バレエ劇場(マリインスキー劇場)、1930年から1954年までボリショイ劇場でソリストとして活躍した。ボリショイ劇場には晩年にも出演しており、1985年、90歳でチャイコフスキーの『エフゲニー・オネーギン』グレーミン公爵を歌っている。
大祖国戦争中は、兵士のため前線において歌い、戦後(1945年 - 1946年)も東ヨーロッパ諸国に駐屯したソ連兵士のために演奏旅行を行っている。オペラでの活躍のほか、ドイツ・リートやロシア・ロマンス、ソ連の大衆歌曲(イサーク・ドゥナエフスキー、ドミトリー・ポクラッス、ティホン・フレンニコフなどの作品)も歌っている。
歌手としての活動に加えて教育者としても教鞭をとり、1954年からグネーシン音楽大学で声楽教授を始め、1965年から1970年まではモスクワ音楽院で声楽科長を務めた。1992年、モスクワにて没。
受賞
[編集]- 1937年:ソ連人民芸術家
- 1941年:スターリン賞第1席 オペラ・声楽における優れた業績に対して
- 1949年:スターリン賞第1席 ムソルグスキー『ボリス・ゴドゥノフ』タイトル・ロールの演技に対して
- 1951年:スターリン賞第1席 ムソルグスキー『ホヴァーンシチナ』ドシフェイの演技に対して
出演映画
[編集]- 1951年:『大演奏会 Большой концерт』(フィルム・コンサート、DVD発売時のタイトルは『ボリショイ黄金期の芸術家たち』)
- 1953年:『アレコ』(オペラ映画)
- 1959年:『ホヴァーンシチナ』(オペラ映画)
オペラ録音
[編集]- 1937年:グリンカ『ルスランとリュドミラ』(サモスード指揮 ルスラン役)
- 1946年:ムソルグスキー『ホヴァーンシチナ』(ハイキン指揮 ドシフェイ役)
- 1947年:リムスキー=コルサコフ『サトコ』(ネボルシン指揮 ノルマンの商人役)
- 1948年:ムソルグスキー『ボリス・ゴドゥノフ』(ゴロワノフ指揮 タイトル・ロール)
- 1948年:チャイコフスキー『エフゲニー・オネーギン』(オルロフ指揮 グレーミン公爵役)
- 1948年:グノー『ファウスト』(ネボルシン指揮 メフィストフェレス役)
- 1951年:リムスキー=コルサコフ『モーツァルトとサリエリ』(サモスード指揮 サリエリ役)
- 1953年:リムスキー=コルサコフ『サトコ』(ゴロワノフ指揮 ノルマンの商人役)
- 1953年:ロッシーニ『セビリアの理髪師』(サモスード指揮 バジリオ役)
- 1954年:ムソルグスキー『ホヴァーンシチナ』(ネボルシン指揮 ドシフェイ役)
- 1955年:ボロディン『イーゴリ公』(メリク=パシャーエフ指揮 コンチャーク汗役)
参考文献
[編集]- MELODIYA A Soviet Russian L.P.Discography ISBN 0-313-22596-6
- 日本・ロシア音楽家協会 編『ロシア音楽事典』(2006年 カワイ出版)ISBN 9784760950164