マリー=テレーズ・ルブール
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マリー=テレーズ・ルブール Marie-Thérèse Reboul | |
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アレクサンドル・ロスランによる肖像画 | |
生誕 |
1738年2月26日 フランス王国、パリ |
死没 |
1806年1月4日 フランス帝国、パリ |
マリー=テレーズ・ルブール、画家のジョゼフ=マリー・ヴィアンと結婚してヴィアン夫人[1](Marie-Thérèse Reboul、Madame Vien、1738年2月26日 - 1806年1月4日)はフランスの画家である。王立絵画彫刻アカデミーに入会を認められた数少ない女性の一人である。
略歴
[編集]パリで生まれたとされる。結婚する前から版画家として知られ、博物学者、ミシェル・アダンソンの著書、「セネガルの貝類」( Sénégal: Coquillages:1757)や考古学者のケリュス伯爵(Anne Claude de Caylus)の論文の図版を制作した[1]。
1757年に22歳年上のジョゼフ=マリー・ヴィアンと結婚した[1]。夫は後にフランス王室の筆頭宮廷画家になる人物である。夫から美術の訓練を受けたと考えられているが、ジョゼフ=マリー・ヴィアンの自伝には言及がなく、女性植物画家のマドレーヌ・フランソワーズ・バスポルトの弟子であったと考えられている[2]。1757年に王立絵画彫刻アカデミーの会員になった。アカデミーの145年間の歴史で15人しかいなかった女性の正式会員であり、イタリア生まれの肖像画家、ロザルバ・カッリエーラ(Rosalba Carriera:1673-1757)が会員となって以来37年ぶりであった[1]。
1757年から一年おきの頻度で、サロン・ド・パリに鳥を描いた水彩画などを出展した.[3]。1767年の作品は美術批評家のドゥニ・ディドロから評価された。
父親と同名の息子(Joseph-Marie Vien le jeune: 1761-1848) も画家となった。
参考文献
[編集]- ^ a b c d Hottle, Andrew D. (2014). “Present but Absent: The Art and Life of Madame Vien”. Southeastern College Art Conference Review 16 (4): 424–442.
- ^ Pomeroy, Jordana, ed (2012). Royalists to Romantics: Women Artists from the Louvre, Versailles, and Other French National Collections. Washington, DC: National Museum of Women in the Arts. p. 120
- ^ Seznec, Jean; Adhémar, Jean, eds (1957). Diderot: Salons, 1759-1781. Oxford: Clarendon Press