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マリー・シュニュール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
マリー・シュニュール
Marie Schnür
1906年のマリー・シュニュール
生誕 (1869-02-19) 1869年2月19日
ドイツ、Wegezin
死没 1934年2月16日(1934-02-16)(64歳没)
現ポーランド、シフィノウイシチェ
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フランツ・マルクがマリー・シュニュール(左)とマリア・フランクを描いた『山の上の二人の女性』(1906)[1]
コッヘル湖畔のマリー・シュニュール(左)とマリア・フランクとフランツ・マルク

マリー・シュニュール(Marie Christine Henriette Margarete Schnür、1869年2月19日 - 1934年2月16日[2])は、ドイツの画家、イラストレーターである。1907年から1908年の間、有名な画家フランツ・マルクの最初の配偶者であった。

略歴

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現在のドイツ、メクレンブルク=フォアポンメルン州のWegezinで生まれた。父親はザクセン=コーブルク=ゴータ公国コーブルクに住んだに広大な邸宅を持つ裕福なシュニュール家の一族であった[3]。母親はメクレンブルク=フォアポンメルンの荘園領主の娘だった。他の4人姉妹と育った。[4]

ベルリン女性芸術家協会(Vereins der Berliner Künstlerinnen)の美術学校に入学し、イラストレーター、彫刻家のコンラート・フェール(Conrad Fehr: 1854-1933)に学んだ。すぐにグラフィック・デザインの才能が認められ、ミュンヘンで画家のルートヴィヒ・シュミット=ロイテ(Ludwig Schmid-Reutte: 1862-1909)やヴィルヘルム・デュール(Wilhelm Dürr der Jüngere: 1857-1900)に学んだ。

ミュンヘンの芸術などを扱う雑誌「ユーゲント(Jugend)」でイラストレーターとして働くようになり[5][6] 、しばしば表紙絵を描いた。書籍、詩集の挿絵も描き、「シルエット画」も制作した。ミュンヘンではゲルトラウト・ロストスキ(Gertraud Rostosky: 1876-1959)と親しく、ミュンヘン分離派の画家たちが1899年に結成された「Scholle」という美術家グループのメンバーと活動した。

ミュンヘン女性芸術家協会の美術学校で静物画を教え、美術学校の同僚教師であった11歳年下のフランツ・マルク(1880–1916)や学生として入学したきたマリア・フランク(Maria Franck: 1876-1955)と友人になった。1906年の夏、マルクの提案で、3人はバイエルン・アルプスの湖畔の村、コッヘル・アム・ゼー(Kochel am See)に数か月間滞在した。この間、マルクはマリー・シュニュールとマリア・フランクを一緒に描いた絵画「山の上の二人の女性」を制作し、マルクの弟ポールは、コッヘル湖畔で3人が一緒に写っているヌード写真を撮った。

マリー・シュニュールは1906年2月19日にパリで密かに隠し子を出産していて、子供の父親については、ミュンヘン美術院の教授のアンジェロ・ヤンク(1868-1940)とも[7] ミュンヘンの医学生のアウグスト・ガリンガー(August Gallinger: 1871-1959)であった[4] ともいわれている。法律上の問題から、未婚の女性が、子供を一人で育てることはできなかったので、シフィノウイシチェに住む母親に子供に預けていた。後にマルクの二人目の配偶者になったマリア・フランクの回想記によれば、フランツ・マルクはシュニュールの問題を解決するためにシュニュールと結婚することを申し出て、1907年3月27日にミュンヘンで形式的に結婚したとされ、1908年7月に離婚している[8][9][10]。フランツ・マルクとマリア・フランクは長く婚約関係にあったが、ミュンヘンで結婚式を挙げたのは1913年2月である。しかしながらこれらの経緯は、本当でない可能性がある[11]

シュニュールは1908年にマルクと離婚した年に母親が亡くなり、シフィノウイシチェに移ったが、1918年にはベルリンで活動していた[6]

マリー・シュニュールは1934年にシフィノウイシチェで亡くなった。

作品

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脚注

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  1. ^ Annegret Hoberg, Isabelle Jansen: Franz Marc. Werkverzeichnis. Band I: Gemälde. Beck, München 2004, ISBN 3-406-51139-2, S. 82, Nr. 48.
  2. ^ Sterberegister Swinemünde, Eintrag Nr. 46 vom 17. Februar 1934.
  3. ^ Chronik des Schnür’schen Grundstücks; Erwähnung von Marie Schnür als berühmte Enkeltochter (Memento vom 19. Dezember 2018 im Internet Archive)
  4. ^ a b Brigitte Roßbeck: Franz Marc: Die Träume und das Leben – Biographie. 2015, ISBN 978-3-88680-982-0. (books.google.de)
  5. ^ Annegret Hoberg, Isabelle Jansen: Franz Marc. Werkverzeichnis. Band I: Gemälde. Beck, München 2004, ISBN 3-406-51139-2, S. 82, Nr. 48.
  6. ^ a b Soldaten-Abschied. In: Jugend. Münchner illustrierte Wochenschrift für Kunst und Leben. Nr. 6, 1918, S. 107. (liederlexikon.de)
  7. ^ Brigitte Salmen: Maria Marc. Leben und Lebenswerk, S. 8. In: Brigitte Salmen (Hrsg.): Maria Marc im Kreis des „Blauen Reiter“. Ausstellungskatalog, Schloßmuseum Murnau, 2004.
  8. ^ Franz Marc, Klaus H. Carl: Franz Marc. Parkstone International Verlag, 2013, ISBN 978-1-78310-166-5. (books.google.de)
  9. ^ Biografische Daten in Marc Family. Arolsen Collection, ISBN 978-5-87243-393-4. (books.google.de)
  10. ^ Briefe von Franz Marc in: Franz Marc: Briefe, Schriften, Aufzeichnungen. Gustav Kiepenheuer, Leipzig 1989, S. 26. (zeno.org)
  11. ^ Brigitte Roßbeck: Franz Marc. Die Träume und das Leben. München 2015.

参考文献

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  • Marie Schnür. In: Stephan Sehlke: Pädagogen – Pastoren – Patrioten: Biographisches Handbuch zum Druckgut für Kinder und Jugendliche von Autoren und Illustratoren aus Mecklenburg-Vorpommern von den Anfängen bis einschließlich 1945. Verlag Books on Demand, 2009.