マリー・シャンタル
マリー=シャンタル・クレア Μαρί Σαντάλ Κλάρα | |
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グリクシンブルグ家 | |
マリー=シャンタル(2013年6月) | |
称号 | ギリシャ王太子妃 |
出生 |
1968年9月17日(56歳) イギリス、ロンドン |
配偶者 | パウロス (ギリシャ王太子) |
子女 | |
父親 | ロバート・ウォーレン・ミラー |
母親 | マリア・クララ・ペサンタス |
ギリシャ王室 |
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マリー・シャンタル(Marie Chantal, 1968年9月17日 - )は、旧ギリシャ王国の王太子パウロスの妻。ギリシャのプリンセスの称号を持つ[1]。絵本作家、イラストレーター、子供服のデザイナーでもある[2]。旧姓名はマリー・シャンタル・クレア・ミラー(Marie Chantal Claire Miller)。
略歴
[編集]アメリカのDFSグループの創業者で香港の投資会社サーチ・グループ会長である富豪ロバート・W・ミラー[3]の次女。母は、エクアドル人の建設作業員の娘マリア・クララ・ペサンタス。姉のピア(石油王クリストファー・ゲティの先妻)、妹のアレクサンドラ(デザイナーのダイアン・フォン・ファステンバーグの一人息子アレクサンドルの先妻)と合わせて「ミラー三姉妹」として知られる。
ロンドンで生まれ、10歳まで香港で育った。姉妹で5年間スイスのル・ロゼで学んでいる。1982年にパリのインターナショナルスクール、エコール・アクティプ・ビラング(EaB)に転校、さらにニューヨークの女子校マスターズ・スクールに転校した。ニューヨーク大学で芸術史を学んだ(のちにジョージタウン大学で学ぶパウロスを追いかけるために中退し、ジョージタウン大学近くの美術学校へ転校した)。
1992年に父親の取引先の紹介でパウロスと会い、ひと目惚れした[4]。1994年のクリスマスの日、スイスの高級スキーリゾート地、グスタードでプロボーズを受ける(当地にはミラー家の別荘がある)。
ローマンカトリックからギリシャ正教会に改宗するため、正教会のコンスタンディヌーポリ総主教であるヴァルソロメオス1世の祝福を受けにトルコのイスタンブールにふたりで行き改宗した[3]。
1995年7月1日、パウロスとロンドンの聖ソフィア大聖堂で結婚した[3]。結婚式はマリー・シャンタルの父親で世界中のDFS(デューティフリーショップ)のオーナーであるロバート・ミラーのしきりで、1400人の招待客が見守る中、セント・ソフィア・カテドラル教会で行なわれた。この前日には2日間にわたり、ケント州セブンオークで盛大なプレ・パーティが行なわれ、式後にはハンプトン・コート宮殿でミラー夫妻主催のランチバーティが開かれた。ミラーは式とバーティのために800万ドルをかけ、持参金に2億ポンドを持たせたと言われている[4]。
2000年、「Marie Chantal LLC」という子供服のブランドを設立した。アメリカやロンドン、アテネの高級デパートに出店している。
2011年、マリー・シャンタルはアメリカ合衆国の市民権を放棄した[5]。
子女
[編集]夫との間に4男1女がある。
- マリア=オリンピア(1996年 - )
- コンスタンティノス・アレクシオス(1998年 - )
- アキレアス=アンドレアス(2000年 - )
- オディッセアス=キモン(2004年 - )
- アリステイデ・スタウロス(2008年 - )
脚注
[編集]- ^ Greekroyalfamily.org
- ^ Greekroyalfamily.org
- ^ a b c CHRONICLENew York Times, January 12, 1995
- ^ a b http://www.vanityfair.com/style/features/2008/02/marie_chantal200802
- ^ Ann Gaudelli, Internal Revenue Service (2011-08-03). “Quarterly Publication of Individuals, Who Have Chosen To Expatriate, as Required by Section 6039G”. Federal Register 76 (149): 46898–46905 2012年7月27日閲覧。.