マリヤ・ヤロスラヴナ (リトアニア大公妃)
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マリヤ・ヤロスラヴナ Мария Ярославна | |
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リトアニア大公妃 | |
在位 | 1345年 - 1346年? |
死去 |
1346年? |
配偶者 | リトアニア大公アルギルダス |
子女 |
アンドリュス ドミトリユス ヴラディミラス コンスタンティナス フィオドラス アグリピナ |
家名 | リューリク家 |
父親 | ヴィテプスク公ヤロスラフ・ヴァシリエヴィチ |
マリヤ・ヤロスラヴナ(ロシア語: Мария Ярославна、生没年不詳)は、リューリク朝最後のヴィテプスク公ヤロスラフ・ヴァシリエヴィチの唯一の娘である。リトアニア大公アルギルダスの最初の妻となった。
生涯
[編集]その生涯について知られるところは少ない。おそらく、1317年ごろにアルギルダスと結婚したと推定されている。マリヤは、ヴィテプスク公国の唯一の相続人であり[1]、1345年頃に父のヤロスラフが死亡した後[2]、ヴィテプスク公国はアルギルダスの手に渡った。
マリヤはその生涯のうちに、5人の息子と、少なくとも1人の娘を産んだ。子らは全員がルーシの地で養育され、正教徒として洗礼を受けた[3]。マリヤの死(1346年?)の後、アルギルダスはトヴェリ大公アレクサンドルの娘・ウリアナ(イウリアニヤ)(ru)と再婚した。アルギルダスの死後、マリヤの子らとウリアナの子らは、リトアニア大公位をめぐる闘争を繰り広げることとなる。
子
[編集](子の名はリトアニア語準拠表記、公位は便宜上ロシア語準拠表記を用いている[注 1])
- アンドリュス(1325年頃 - 1399年) - ポロツク公・プスコフ公
- ドミトリユス(? - 1399年) - ブリャンスク公
- ヴラディミラス(? - 1398年以後) - キエフ公
- コンスタンティナス(1331年頃 - 1388/92年) - チェルニゴフ公
- フィオドラス(1332/3年頃 - 1394/1400年) - ラトノ公・コブリン公
- アグリピナ(ru)(1334年頃 - 1393年) - ゴロデツ公ボリス(ru)と結婚
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ Ivinskis Z. Lietuvos istorija iki Vytauto Didžiojo mirties. — Rome: Lietuvių katalikų mokslo akademija, 1978. — p. 239.
- ^ Rowell S. C. Lithuania Ascending: A Pagan Empire Within East-Central Europe, 1295—1345 // Cambridge Studies in Medieval Life and Thought: Fourth Series. Cambridge University Press, 1994. — p. 84.
- ^ Ivinskis Z. Lietuvos istorija iki Vytauto Didžiojo mirties. — Rome: Lietuvių katalikų mokslo akademija, 1978. — p. 259.
- ^ Войтович Л. Князівські династії Східної Європи (кінець IX — початок XVI ст.): склад, суспільна і політична роль. Історико-генеалогічне дослідження. — Львів: Інститут українознавства ім. І.Крип’якевича, 2000.