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マリウス・ラカトゥシュ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
マリウス・ラカトゥシュ
名前
本名 マリウス・ミハイ・ラカトゥシュ
愛称 Fiara、The Beast
ラテン文字 Marius Lăcătuş
基本情報
国籍  ルーマニア
生年月日 (1964-04-04) 1964年4月4日(60歳)
出身地 ブラショフ
身長 181 cm
体重 76 kg
選手情報
ポジション FW
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1981-1983 ルーマニアの旗 FCブラショフ 45 (5)
1983-1989 ルーマニアの旗 ステアウア・ブカレスト 200 (59)
1990-1991 イタリアの旗 フィオレンティーナ 21 (3)
1991-1993 スペインの旗 レアル・オビエド 51 (7)
1993-2000 ルーマニアの旗 ステアウア・ブカレスト 157 (39)
2000 ルーマニアの旗 ナシオナル・ブカレスト 12 (0)
代表歴
1984-1998 ルーマニアの旗 ルーマニア [1] 83 (13)
監督歴
2000-2001 ルーマニアの旗 ナシオナル・ブカレスト
2001 パナマの旗 パナマ コーチ
2001-2002 ルーマニアの旗 FCオツェルル・ガラツィ
2002-2003 ルーマニアの旗 FCブラショフ
2003 ルーマニアの旗 ルーマニア コーチ
2004 ルーマニアの旗 チェアラゥル・ピアトラ・ネアムツ
2005 ルーマニアの旗 インテル・ガズ・ブカレスト
2006-2007 ルーマニアの旗 UTAアラド
2007-2008 ルーマニアの旗 ステアウア・ブカレスト
2009 ルーマニアの旗 ステアウア・ブカレスト
2009-2010 ルーマニアの旗 FCヴァスルイ
2010-2011 ルーマニアの旗 ステアウア・ブカレスト
2012 ルーマニアの旗 トゥルグ・ムレシュ
2013-2014 ルーマニアの旗 CSMSヤシ
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

マリウス・ラカトゥシュ(Marius Lăcătuş、1964年4月5日 -)は、ルーマニア出身の元サッカー選手サッカー指導者。ポジションはFW

経歴

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クラブ

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ラカトゥシュは1981年FCブラショフで選手経歴を開始すると、1983年ステアウア・ブカレストへ移籍。ステアウアでは1986年5月にUEFAチャンピオンズカップ 1985-86決勝でFCバルセロナをPK戦の末に下し優勝に貢献。同年12月のトヨタカップにも出場した。東欧革命後の1990年に国外へ活躍の場を求め、イタリアフィオレンティーナへ移籍、翌1991年にはスペインレアル・オビエドへ移籍した。1993年に古巣のステアウアに復帰を果たし7シーズン在籍、2000年ナシオナル・ブカレストで短期間プレーした後に現役を引退した。ラカトゥシュはルーマニアリーグ通算414試合に出場し103得点を記録、欧州サッカー連盟主催の国際大会において72試合に出場し16得点を記録した。

ルーマニア代表

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ルーマニア代表としては、1990年FIFAワールドカップ・イタリア大会代表メンバーに選出。初戦のソビエト連邦戦では前半40分にスルーパスから抜け出し、セルゲイ・アレイニコフを振り切り右足のミドルシュートで先制。後半9分には巧妙なドリブル突破から相手のハンドを誘い、獲得したPKを自ら決めて2-0の勝利に貢献した。この大会では4試合に出場し同国の決勝トーナメント進出に貢献した。

1994年FIFAワールドカップ・アメリカ大会代表からは落選したが、その後は1996年UEFA EURO '96と、1998年FIFAワールドカップ・フランス大会では代表に選出された。ラカトゥシュはルーマニア代表として国際Aマッチ84試合に出場し13得点を記録した。1997年FIFA欧州選抜に選出し世界選抜との対戦で1得点を挙げる活躍を見せた。

引退後

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引退後は指導者の道へ進み、2000年ナシオナル・ブカレストのヘッドコーチに就任。パナマ代表のコーチや古巣のFCブラショフの監督などを歴任し、2004年にはサッカールーマニア代表のコーチを短期間務めた。2005年ステアウア・ブカレストの会長に就任したが、現場での仕事を求め、再び監督業に復帰し、2006年から2007年UTAアラドの監督を務めた。2007年10月28日にシーズン途中に解任されたマッシモ・ペドラッツィーニの後任としてステアウア・ブカレストの監督に就任し、2007-08シーズンを2位で終えた。しかし、2008年10月21日に行われたUEFAチャンピオンズリーグ 2008-09第3節、対オリンピック・リヨン戦の敗戦(3-5でステアウアの敗退)の責任をとり、翌22日に監督を辞任した[2]

その後、後任のドリネル・ムンテアヌが同年12月16日に成績不振により解任されると、ラカトゥシュが監督に復帰することが、オーナーのゲオルゲ・ベカリにより発表された[3]。同年5月に監督を退任した。2009年10月、FCヴァスルイ監督に任命され、リーグ3位、カップ戦準優勝の好成績を収めたが2010年5月に退任。

2010年9月27日、ステアウアの監督に三度目の就任を果たした[4]2011年3月7日FCブラショフ戦での大敗を受けて辞任した。2012年初め、トゥルグ・ムレシュ監督に就任するが、3試合を指揮して2分け1敗と、未勝利のまま辞任。

脚注

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外部リンク

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