マリア・ヴィンカ
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マリア・ヴィンカ Maria Vinca | |
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自画像 | |
生誕 |
1878年1月29日 ミラノ |
死没 |
1939年12月8日 ヴェネツィア |
マリア・ヴィンカ(Maria Vinca、1878年1月29日 - 1939年12月8日)はイタリアの画家である。おもに人物画を描いた。
略歴
[編集]ミラノで生まれた。ミラノのブレラ美術アカデミーでフィリッポ・カルカーノ(1840-1914)に学んだ[1]。卒業後はヴェネツィアに移り、ヴェネツィア美術アカデミーや当時アメデオ・モディリアーニ(1884-1920)も学んでいた Scuola libera di Nudeでも学んだ。
ヴェネツィアでは風景画家のグリエルモ・チアルディから学び、影響を受けた。ヴェネツィアに開いたヴィンカのアトリエはエンマ・チアルディやファビオ・マウロネル(Fabio Mauroner)、グイード・カドリン(Guido Cadorin)、エルマンノ・ヴォルフ=フェラーリ、フィオラヴァンテ・セイベッティ(Fioravante Seibezzi)といった画家や芸術家の集まる場所になった。
ヴィンカの風景画や静物画の評価も高かったが、肖像画や人物画がとりわけ高く評価されている。ヴェネツィアの有力者の家族の肖像画を描き、有名な女優のリダ・ボレッリ(1884–1959)と彼女の子供たちの肖像画も描いた。
第一次世界大戦中は戦時公債募集のポスターや絵葉書の制作を依頼され描いた。1824年に暗殺された社会主義の政治家、ジャコモ・マッテオッティとその家族の肖像画も描き、暗殺後、その肖像画はしばしば新聞に掲載された。
1910年代から1920年代の後半にかけてヴェネツィアで個展を開き、ヴェネツィア・ビエンナーレやぱりの展覧会にも出展した。
ヴェネツィアで亡くなった。
作品
[編集]-
肖像画
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肖像画
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静物画
脚注
[編集]- ^ Sergio Rebora: Le protagoniste. Scuole e tendenze nella pittura milanese a cavallo dei due secoli. In: A. Scotti, M. T. Fiorio, S. Rebora (Hrsg.): Dal salotto agli ateliers: produzione artistica femminile a Milano (1880-1920). Ausstellungskatalog. Jandi Sapi, Rom/Mailand 1999, S. 27–61, hier: S. 35
参考文献
[編集]- Gabriella e le altre. Gabriella Oreffice, Maria Vinca, Ernesta Oltremonti, Giola Gandini. Ausstellungskatalog. Mirano 2014, S. 16–18 (archive.org, 14. Mai 2015).
- Enrica Grasso: Le vittoriose della I Esposizione d’arte femminile di Torino. In: Donna, Turin 5. April 1911, S. 16–18.