マリア・ヨーゼファ・フォン・ハラハ
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マリア・ヨーゼファ・フォン・ハラハ Maria Josefa von Harrach | |
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リヒテンシュタイン侯妃 | |
在位 | 1744年3月19日 - 1748年12月22日 |
出生 |
1727年11月20日 神聖ローマ帝国 オーストリア大公国、ウィーン |
死去 |
1788年2月15日(60歳没) 神聖ローマ帝国 ボヘミア王国、ロウドニツェ・ナド・ラベム |
配偶者 | リヒテンシュタイン侯ヨーハン・ネポムク・カール |
ヨーゼフ・フォン・ロプコヴィッツ | |
家名 | ハラハ家 |
父親 | フリードリヒ・アウグスト・フォン・ハラハ伯爵 |
母親 | マリー・エレオノーレ・フォン・リヒテンシュタイン |
マリア・ヨーゼファ・フォン・ハラハ(Gräfin Maria Josefa von Harrach、1727年11月20日 - 1788年2月15日)は、オーストリアの貴族女性。リヒテンシュタイン侯ヨーハン・ネポムク・カールの妻。
フリードリヒ・アウグスト・フォン・ハラハ伯爵とその妻でリヒテンシュタイン侯アントン・フローリアンの娘マリー・エレオノーレ(1703年 - 1757年)の間の四女として生まれた。1744年3月19日、母方の従兄にあたるリヒテンシュタイン侯家の当主ヨーハン・ネポムク・カールと結婚した。ヨーハンとは間に子供のないまま結婚後4年で死別した。1752年11月28日に弟系ロプコヴィッツ侯家の当主ヨーゼフ(1724年 - 1802年)と再婚し、間に2男2女をもうけたが、成育したのは娘1人だけだった。
参考文献
[編集]- Centre d'Études des Dynasties Royales Européenes