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マリア・クリスティーナ・ムニョス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ラ・イサベラ女侯爵クリスティーナ、1860年頃
クリスティーナと母王太后

マリア・クリスティーナ・ムニョス・イ・ボルボンMaría Cristina Muñoz y Borbón, 1840年4月19日 マドリード - 1921年12月8日 マドリード)は、スペインの貴族。初代ラ・イサベラ女侯爵。スペイン女王イサベル2世の異父妹。

生涯

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イサベル女王の摂政・母后マリア・クリスティーナ王太后とその再婚相手アグスティン・フェルナンド・ムニョスの間の第5子・三女としてマドリード王宮で誕生[1][2]。1847年姉イサベル女王により初代ラ・イサベラ女侯爵及び初代ラ・デエシージャ女子爵に叙爵された[3]

1860年10月20日、リュエイユ=マルメゾンで第8代カンポ・サグラド侯爵ホセ・マリア・ベルナルド・デ・キーロス・イ・ゴンサレス・デ・シエンフエゴスと結婚、間に3子をもうけた[1][2]

なお、翌1861年には兄のタランコン公爵フェルナンドが、夫の姉妹と結婚している。夫は外交官となり、ロシア、トルコ、ギリシャ駐在特命全権公使を歴任した[4]

1921年、マドリード王宮にほど近いトゥトル通りスペイン語版の邸宅で死去[2][1]

スペイン教育・文化・スポーツ相を務めた政治家イニゴ・メンデス・デ・ビーゴ英語版は玄孫、スペイン・ブランド化戦略(マルカ・エスパーニャ)担当高等弁務官を務めた実業家カルロス・エスピノサ・デ・ロス・モンテロススペイン語版は曽孫にあたる。

引用・脚注

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  1. ^ a b c “La Vida del Gran Mundo. La marquesa de Isabela y de campo Sagrado”. La Acción (Madrid): 2. (21 December 1921). ISSN 2171-5181. http://hemerotecadigital.bne.es/issue.vm?id=0003590895&page=2. 
  2. ^ a b c “Muerte de una dama ilustre. La marquesa de Isabela y Campo Sagrado”. La Época (Madrid). (20 December 1921). ISSN 2254-559X. http://hemerotecadigital.bne.es/issue.vm?id=0000958067&page=1. 
  3. ^ Conde de Borrajeiros (1987). “La sanción morganática. Su pasado, su presente, su futuro”. Hidalguía (202–203): 735. ISSN 0018-1285. https://books.google.com/books?id=SWbWknMAw-MC&pg=PA735. 
  4. ^ Guía diplomática de España 1887, p. 373; Óscar Javier Sánchez Sanz, Diplomacia y política exterior de España: 1890-1914 (tesis doctoral, UCM, Madrid, 2004), pp. 148-149 y 151.